【島人の目】たそがれ


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 映画「たそがれ清兵衛」を見た。「武士の一分」と並んで、藤沢周平原作、山田洋次監督コンビの秀作である。たそがれは漢字では黄昏(たそがれ)と書いて夕方を意味し、時にはロマンを誘うこともあろう。だが、人生のたそがれは違う。うだつの上がらない、勤めが終わると1人せっせと帰宅、同僚とも一切付き合わない。しがない下級武士の生き様をこの映画では「たそがれ」と表現している。しかし、ある日を境に彼に変化が訪れる。

 私はこれまでジャーナリストとして、老若男女を問わず多数を記事やエッセーの中で取り上げてきた。新聞はもうあまり見ないという若者でも、紙上で自分の名前や写真を発見すると、関心度が倍増するのだ。私が若者たちと接点を持つ絶好の機会である。
 つい先日、波照間陽(しの)さんから早稲田大学卒業の写真と卒論の一部がEメールで送られてきた。めでたく同大大学院修士課程への入学が認められ、今は生活リズムを調整しながら、基礎を丁寧に築きたいと思っている-との便りであった。はかま姿の卒業写真で見る陽さんは幸せそうであり、私は自分の娘のことのようにうれしかった。陽さんは沖縄県立芸術大学付属研究所・文学博士の波照間永吉教授の娘さんで、早稲田大学院アジア太平洋研究科で学んでいる。
 波照間教授は、出版間近の私の著書「アメリカに生きる」に推薦文を寄せてくださった。「当銘さんのエッセイには対象を正確に把握し、その背後にある問題を見事にえぐり出して読者の知識と感性に訴える力があふれている」との表現がなされており、私にとっては身に余る光栄だ。
 私自身、年齢的にも「たそがれ」時期に差し掛かって、あらためて思うことは琉球新報の通信員として活躍できる機会が与えられていることに感謝するこのごろである。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)