【アルゼンチン】沖縄開発青年隊移住50周年 記念式典開き友好深める


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 沖縄開発青年隊員がアルゼンチンに移住してからことしで50年を迎え、労働祭の日の1日、ブエノスアイレス近郊にある沖縄県人連合会の「うるま園」で記念祝賀会を開いた。この日は、初秋の晴れ上がった天気。周囲の木々の葉が黄色く染まり、集まった人々を和ませた。

 体調を崩して欠席した荻堂盛重会長に代わり、新垣繁雄氏があいさつ。「今、沖縄にいる我那覇隆八さんら4人がアルゼンチンに来て、もう50年を迎えた。当初は受託者との世代や生活環境などの違いで、いろいろ問題があったが、年数がたってくるとお互いの違いを理解し合い、うまくいった。年を重ねるごとに、わたしたち若者も立派な指導者だと、お褒めの言葉を頂くようになった」と述べた。
 次に新垣勇幹事がこれまでの歴史を説明した。「全部で67人ぐらいが来ているが、沖縄へ帰ったり、ブラジルへ渡ったり亡くなった人もいて現在、連絡の取れる会員は13人。13人は全員結婚し家族を構成している」と報告。「1960年代に入り、同じ環境下にあったボリビアからの転住者たちと知り合い、語り合って付き合うようになった。そしてボリビアの人たちが朝日クラブと名付けて活動すると、わたしたちも太陽クラブと名付けてクラブ同士で付き合ってきた」と振り返った。
 祝辞で仲地善孝氏は「50周年おめでとう。皆さんのおかげで農業を続けていくことができ感謝している」と述べた。沖縄県人連合会の米須清文会長も祝いの言葉を述べ「去る移民100周年祭は皆さんの指導力のおかげで立派な記念祭典になった」と報告した。
 沖縄の我那覇隆八氏からの祝電も朗読された。岸本浩氏による乾杯の音頭の後、アサードを食べながら歓談し盛り上がった。
(新垣善太郎通信員)