【ニューヨーク】友人ら多数参加し 松川重一氏葬儀


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 ニューヨーク沖縄県人会の創設者・松川重一氏=享年81歳=の葬儀=写真=が9日、ニューヨーク市内で家族や親族、友人、多くの県人会のメンバーに見守られ、しめやかに行われた。

 松川氏は現在の県立名護高等学校の前進である県立第三中学校出身で、戦後間もなくアルゼンチンに渡り、1968年からニューヨークに移住。日本文化がアメリカ社会に浸透していない当時、建築内装や障子を主に製作する宮カンパニーを運営し、当地で日本の建築美を育てた。
 仕事の傍ら、沖縄から送られてきた琉球音楽や舞踊ビデオテープを共有したいと、当時唯一のミニコミ紙に案内広告を出したところ、反響は大きく、50家族のウチナーンチュが集まり驚いたという。
 ニューヨークは他の国と違い、政府の移民政策によっても移住者はおらず、単独行動だったため県人同士の連帯がなかった。そこで「親睦(しんぼく)と相互扶助」をモットーに1983年、ニューヨーク沖縄県人会を創設した。異国に住むウチナーンチュにとって心の安らぎとなり、絆(きずな)が強く結ばれた。昨年、盛大に25周年記念が行われた。
 県人会長のてい子与那覇・トーシーさんは「松川氏のウチナーンチュチムグクルを次の世代にバトンタッチするのがわれわれの任務」と追悼の言葉を述べ、意を新たにした。
 温厚で黙々と目的に向かう堅実な指導者、郷土愛に満ちた松川氏を支えた節子夫人は「多くの県人会の皆さまに温かく見守られる中、静かに旅立ち本当に幸せ。皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです」と涙ぐんだ。
 松川氏のライフワークで壮大な「日英沖縄方言辞典(仮題)」が完成目前だった。松川氏の遺志は絶えることなく異郷ニューヨークの地に明々と輝きを継続するであろう。冥福を祈る。
(比嘉良治通信員)