【島人の目】「素人」を綿密に演出


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 アメリカのテレビ業界は、リアリティー番組真っ盛り。リアリティー番組とは、出演者たちがある体験を共有する過程を、脚本なしでカメラが追うもので、その種類も勝ち抜き型アイドル歌手誕生、結婚相手探し、経営者育成ものまでとバラエティーに富んでいる。

 大半の番組で共通しているのは、出演者が素人で、視聴者投票で勝者が選ばれるという仕組み。人気度を測るバロメーターとなっているのは、出演者たちが織り成す人間模様の濃さ。競争が大好きというアメリカ人の国民性をうまく抑えてヒットした番組はシリーズ化され、版権はフォーマット化されて世界各国へと販売されていくので、制作者は1粒で2度おいしい思いを味わえるというわけだ。脚本を練る手間も俳優へ支払う高額のギャラも省け、カメラを回すだけで高視聴率を稼ぎ出せるとは何て安易な、という私の認識は、先日、トップ視聴率を誇るある番組の制作に参加した際に見事に吹き飛ばされた。
 確かにそこには台本も脚本もない。しかし、現場で次々と起きるハプニングを映像に取り込めるようにするために、スタッフはまさに24時間体制で撮り終わるたびに各コマを検証し、流れに沿って撮影シーンを組み替えていくのである。現場で飛び交う率直な意見を、プロデューサーが的確な判断力で束ねながら、最高潮で番組の終わりを飾れるように流れを整えていくというわけだ。撮り直しがきかない生ものだけに、求められる決断力も高度だ。
 綿密にアウトラインの軌道修正を重ねながら、現場をまとめあげていく総指揮者の采配(さいはい)力に間近で接し、「素人をそのまま撮ったのでは絵にならない。魅力を引き出す裏方の才能があってこそ、初めて素人は『主役』となりうるのだ」と実感した。素人が主役のブームを支えていたのは、やはりハリウッドの敏腕プロデューサーたちだったのである。
(平安名純代、ロサンゼルス通信員)