【島人の目】在独県人のオアシスに


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 1989年11月、ケルン国際食料品見本市に沖縄健康食品と泡盛が初めて出展された。当時個々に交流のあった県出身4家族と見本市関係者との親睦(しんぼく)会がドレアー仲松京子宅で開かれた。4家族がそろって会ったのも初めてで、別れ際に定期的に会うことを約束しあった。

 これがドイツ沖縄県人会の始まりだった。そして1990年の第1回世界のウチナーンチュ大会で、ドイツ沖縄民間大使に任命された筆者の連絡場所が新聞に公開されたのをきっかけに、ドイツに住む県出身者が続々と名乗り上げた。
 そして1991年9月に、県人会がボンにある上原教弘氏の経営するレストラン京都で開かれ、県出身者14人とその家族を含め33人という盛会となった。入れ替わりが激しいが、現在会員は41人プラスその家族である。
 会則もなく、わずかな年会費ですべてを賄う小さな県人会で、お知らせ送付など、すべてドレアー仲松京子さんと筆者のボランティアだ。アメリカの県人会経験者のある婦人に、親睦会だけでは県人会とは言えないとおしかりを受け悩んだこともある。
 長期滞在の方々に集まっていただき、話し合いをした。全国に散らばる県人を集めて親睦会以外に行事をすることは不可能であること、こうして親睦会を企画してくれることに感謝しているとの全員の考えを聞いて肩の荷が下りた。ドイツ沖縄県人会が在独県人のオアシスとなり、独自の道を模索できたらと思う。
(外間キシュカート久美子、ドイツ通信員)