【島人の目】母たちの生き方


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 悟りとは「いつでもどんな状況でも平気で死ぬ」ことという説がある。死を恐れない悟りとは、いわば筋肉の悟りであり、勇者の悟りであろう。

 一方「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という悟りもある。不幸や病気や悲しみのどん底にあっても、平然と生き続ける。そんな悟りを開いた市井の一人が僕の母である。母は8人の子供に大きな愛情を注いで晩年は病気に倒れ、長い厳しい闘病生活の間も愚痴をこぼさずに静かに生きて、昨年暮れに亡くなった。僕は母の温和な生き方に、本人もそれとは自覚しない強い気高い悟りを見たのである。
 同時に僕はイタリアの母、つまり妻の母親にも悟りを開いた人の平穏を見ている。82歳の義母は子宮がんを患い全摘出をした。今も苛烈(かれつ)な化学療法を続けているが、副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をおくびにも出さずに毎日を穏やかに生きている。
 日本の最果ての小さな島で生まれ育った僕の母には、学歴も学問も知識もなかった。あったのは生きる知恵と家族への深い愛情である。片やイタリアの母は、この国の上流階級に生まれてフィレンツェの聖心女学院に学び、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきた。学問も知識も後ろ盾もある。
 天と地ほども違う境涯を生きてきた二人は、母が知恵と愛によって、また義母は学識と理性によって「悟り」の境地に達したと僕は考えている。僕の将来の人生の目標は、いつか二人の母親にならうことである。
(仲宗根雅則、TVディレクター)