【島人の目】100周年記念祭を終えて


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 北米沖縄県人会創立100周年記念祭が終わった。多くのボランティアの協力で、不可能を可能にしたイベントであった。北米沖縄県人にとってマイル・ストーン(画期的な出来事)になった。これは決して大げさな表現ではない。世代から世代へ次代への踏み台を築き、他都道府県人会のモデル・ケースになったことを確信する。

 ミュージカル「翔べ!尚巴志」。ディレクターでプロデューサーの平田大一さんの演出の見事さ、若者たちの躍動感に満ちあふれたパフォーマンスは、満員の聴衆に感動を与えた。
 波照間永吉県立芸大教授の講演「琉球文学にみる沖縄人の心性―琉球文学の固有性をめぐって」は、カリフォルニア・バークレーにある総合宗教大学院ロン仲宗根教授の名英訳と組み合わさって、好評だった。波照間教授の娘の陽さんが英語、私が日本語で2人の教授紹介をした。波照間教授は私の特別要請に応え、すべての支出を自分持ちで講演を受諾した経緯がある。最後の日のパネル討論終了後「琉球文化はエスニック(民族的)文化で、日本本土の文化と異なるものがある」との陽さんの評が私の脳裏に刻まれている。
 今回の100周年記念祝賀式典で琉球新報社から「手ぬぐい」の寄贈があり、スーブニール袋に入れて参加者全員にお土産とした。私はそれをキーボードのほこりよけカバーとして永く使用したい。
 式典に出席した琉球新報社の高嶺朝一社長が帰沖後、早速送ってきた「新しい時代に向かって私たちの琉球新報社がどのように役割を果たせるか、考えさせられました。当銘貞夫大兄が北米県人社会で果たしている役割の大きさや過去の業績の偉大さ、そして奥様、娘さん、息子さん、ご家族の絆(きずな)の強さに感動。今回のロス訪問の最大の成果は、当銘大兄との出会いです」とのEメール・メッセージは私を歓喜させた。同時に自分に課せられた責任の重大さを認識させられた一文でもあった。
 沖縄県人会は確実にバイセンテニアル(200年)に向かって一歩を踏み出したことになる。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)