【キラリ大地で】アメリカ/高里米子さん(63)首里出身 沖縄系の救世主的存在


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高里米子さん

 10年ほど前、バージニア州の各大学から送られてきた日本語スピーチコンテスト出場予選のデモテープを聞く機会があった。そのうちの1本は、沖縄の文化や日本語に拒否反応を持っていた自分を支え続けた母親の大きな愛に感謝するという感動的な内容のものだった。その母親が、日本大使館勤務の高里米子さん(63)=首里出身=だと知り、なるほどと感心したのを覚えている。

 高里さんは、那覇空軍基地人事課勤務の時、夫のジャン・シレオさんと知り合い1968年に結婚し渡米。その後、ワシントンDC日本大使館領事部に採用された。最初は、外国人のためのビザ発行の仕事をこなしたが、後に日本人のための旅券発行を担当する。
 沖縄系の人たちの中には、何ページにも及ぶ書類への書き込みが苦手な人が多く、さらに窓口の人の高飛車な応対に萎縮(いしゅく)してしまい、日本語での質問にも支障を来す人がいたという。高里さんはそんな沖縄系の人にとって救世主的存在であった。高里さんの懇切丁寧な説明で書類申請がスムーズに行われ、また、里帰りに合わせて旅券の発行を早めにするなどいろいろ便宜を図ったりした。また、何かあると高里さんの自宅に電話をかけ、親身になって相談に乗ってもらった人も数多いと聞く。
 在外選挙の実施に先駆けて旅券発行の出張サービスが行われるようになり、各地方都市に出張して来た高里さんの姿に沖縄出身の人たちは、安堵(あんど)感を覚えたようだ。「沖縄では母親のためにすべての事務的処理をやっていたので、窓口に来ている不安げな人と母親の姿がいつも重なって見えた」と高里さん。
 「滞在問題で困っている沖縄系の女性が何人かいたが、大使館職員としての立場と個人的な気持ちのはざまで苦しかったこともあった。地道な仕事だったが誠心誠意をモットーにやってきた。何といっても窓口で沖縄の人に会えるのが楽しみだった」と振り返る。
 ことし6月、40年勤めた領事部の仕事を退職。「今は、孫のフルタイム・ベビーシッターに情熱を傾けている。孫との毎日が楽しくて仕方がない」と笑顔を見せる。沖縄会でのイベントでは、受付等のボランティアを務め、舞台では、琉球舞踊を披露してきた。趣味のテニスと水泳を続けている活動的な高里さんは、ユーモアのセンスもありすてきに年を重ねているあこがれの女性の一人である。
 (鈴木多美子ワシントンDC通信員)