【島人の目】「かりゆしウエア」


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 待っていても誰も指摘しないので、しかられるのを覚悟で僕が言うことにした。
 大半のかりゆしウエアには、ダサイ、ケバイ、ウザイの形容詞が似合う。特に原色を使ったデザインは美しくない。色は光である。沖縄の強烈な陽光が島の破天荒な原色をつくり出すのはごく自然なことだ。しかし、原色はそこにそのまま投げ出されているだけでは、ただ泥くさくうっとうしいだけの原始の色である。文化と感性を併せ持つ人間は、原始の色を美的センスによって作り変え、向上させ繊細を加えて「表現」しなければならない。

 僕は今イタリアに住んでいる。イタリアの夏の陽光は鮮烈である。めくるめく地中海の光の下には沖縄に似た原色があふれている。ところが、ここでは原色が原始のままで投げ出されていることはほとんどない。さまざまな用途に使われる原色は、人が手を加えて作り変えた色である。あるいは作り変えようとする意志がはっきりと見える原色である。それをセンスという。センスがあるかないかが、沖縄の原色とイタリアの原色の分かれ目である。
 かりゆしウエアの沖縄の原色には良さもないわけではない。つまり手が加えられていない感じ、自然な感じ、簡素で大らかな感じが沖縄の持つ「癒やし」のイメージにつながる。そのコンセプトには僕も賛成である。それに演出が加わって磨かれ、洗練され、上品になれば、原始のケバさはたちまちイタリアの「原色表現」に近づいて、観光地沖縄の名を一段と高めるに違いない。
(TVディレクター、仲宗根雅則)