【ドイツ】沖縄の先生 5人活躍 デュッセルドルフ日本人学校


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ドイツで教壇に立つ(写真右から)上江田教頭、西表、照屋、比嘉各教諭

 5千人余の日本人が住むデュッセルドルフ市に、日本の食材が手に入り、日本食レストランや本屋、美容室が並び、一見日本かと錯覚してしまいそうな一角がある。そのデュッセルドルフ市内に、ヨーロッパで一番古く、大きな日本人学校がある。1980年に沖縄から初めて派遣されたのが、理科教諭の上原義雄氏だった。

 その後、神谷乗仁氏や浜口茂樹氏、砂川武彦氏が間を置いて派遣されてきたが、父母や生徒たちから非常に評判のいい先生ばかりだった。
 そして現在、デュッセルドルフ日本人学校に沖縄から3人の教諭が派遣され勤務している。2007年から教頭を務めている上江田敏博氏(49)=那覇市出身、小学3年生主任の照屋力男氏(48)=豊見城市出身、小学校1年生の主任を務める西表りか氏(41)=南城市玉城出身=である。
 また、名護市出身の故・比嘉憲正氏を祖父に持つ比嘉一子氏(26)=京都市出身=も京都府から派遣され、沖縄関係の教諭が4人もそろった。
 しかし、それだけではない。09年度はなんと沖縄から西表りか氏のほかに2人の教諭がドイツに派遣されてきたのだ。ベルリン日本人国際学校の桃原清文氏(38)=那覇市出身と、以前、県出身の奥平一校長が勤めたハンブルク日本人学校の池原健太氏(36)=読谷村出身=である。つまり、現在5人の県出身教諭が選ばれてドイツの地で教べんを執っているのである。これは、何を意味するのであろうか。沖縄の教諭たちの情熱と誠意、そしてレベルの高さが認められた証拠ではないだろうか。
 日本人学校は、父母が学校行事に積極的にかかわり、生徒たちの基本生活習慣も親の教育によってしっかりしている。全国から集まった同僚たちからはもちろんのこと、外国で生活する生徒たちからも逆にいろいろなことを教わり、刺激を受ける毎日という。それぞれが「この経験を沖縄に持ち帰り生かしたい」と熱く口をそろえて語っている。(キシュカート外間久美子通信員)