2010年も世界各地から 海外通信員・新年のあいさつ


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 2010年も琉球新報海外通信員は、世界各国のウチナーンチュ社会のニュースや話題を紙面でお届けします。各地のウチナーンチュ社会や通信員の近況、はるか離れた故郷沖縄に対し思うことなど、新年に当たり寄せられた通信員からのメッセージを2週にわたり紹介します。

【アルゼンチン】新垣善太郎/鮮明な政治を求める
 沖縄から届く「琉球新報」を読むと、鳩山新政権に大きな期待を抱いていたが、それが予想外れになりそうでがっかりしている。これはわたし1人ではない。アルゼンチンウチナーンチュ社会も、寄ると触ると皆同じ話題で騒いでいる。
 なぜならば、選挙前は普天間基地の県外移設に県民は期待していたのだが、これに対しあやふやな言動ばかりで確かな言葉がないようである。
 政権も代わったことだし、もう少し鮮明な政治を執ることはできないものだろうか。
 戦後県民は、これまで米軍にいじめられ、日本政府の勝手な政治に悩まされてきた。ようやく政権も代わって、やや名に近い民主党が政権を握って大きな期待を寄せたのだが、米軍関係への対応が前と変わらないのなら、ウチナーンチュはどうすればいいのだろうか、と思う。
 わたしはウチナーンチュ大会のとき、宿が宜野湾市の大会会場近くにあって、毎日、普天間基地を離着陸するヘリの爆音に悩まれたものだ。これは新聞報道で知る爆音とは想像もつかないくらいの騒音である。今は戦争もない平和の時だ。もう少し日本政府は考えてしかるべきであろうかと思われる。

【ボリビア】木内一夫/移住地からあつい情報
 読者の皆さま、ハイサイ! ボリビア通信員の木内一夫です。姓の表す通り、大和人ですが、妻が西原町出身のウチナーンチュですからウチナームークとなりました。そのようなご縁で、通信員をさせていただくことになりました。
 わたしたちのおりますボリビア国オキナワ移住地は、今から55年前から始まった琉球政府の計画移民でできた移住地です。現在約900人の県系人が生活をしています。三線あり、エイサーあり、沖縄そばありと、本当にウチナーのような環境です。わたしはこちらに住み始めて7年が過ぎましたが、いまだに日本語しか話せません。移住2世・3世はスペイン語で話しているのでその会話にはついていけず、1世はウチナーグチで話しているので、こちらもついてはいけない…という状況で、よく取材ができるものだと思っております。
 暑い日々の続く中で正月を迎えています。あつい情報とウチナーの心をお伝えできればと願っております。

【ドイツ】キシュカート外間久美子/ゴーヤー食べ元気に通信
 新年明けましておめでとうございます。昨年2月に職場近くに引っ越しました。毎日往復100キロ走っていたのが、10キロに短縮されました。アウトバーンを毎日時速140~160キロで走っていたので、正直言って少し物足りなさを感じますが、遅くまで仕事をして帰宅するときの楽さには替えられません。
 また、近くに豆腐、ゴーヤーと、パパイア、モヤシも買えるベトナム人経営のアジアショップを見つけました。たまにヘチマも出ます。
 日本人の多いデュッセルドルフの町でも買えないゴーヤーとパパイアが、アジア人の少ないミュルハイムで買える…。感激で幸せいっぱいです。ドイツに来てまでゴーヤーと思うかもしれませんが、年とともに体が郷土食を欲するようです。
 ドイツ生活30年、玄米と沖縄食のおかげでしょうか、健康も取り戻し、長く休んでいた演奏活動も再開しました。通信のほうも、ドイツの香りをお届けできるよう頑張りたいと思います。
 今年もよろしくお願いいたします。

【ハワイ】名護千賀子/「おかげさまで」を大切に
 ハワイ沖縄連合会では、毎年会長が代わるごとにその年のテーマが設けられる。毎年ほとんど同じような年間行事が行われるにもかかわらず、1年を振り返ると、ちゃんとそのテーマに添ってメンバーが動き、テーマに添った出来事があっちこっちで起こり、その目的を達成した1年となるのだ。
 約9000世帯のメンバーを持つ連合会は、このテーマの持つ力に引っ張られ、意識が高まり、気持ちが一つになるのだろうか。
 2009年に知念フォード会長が掲げたのは「誠」。誠実さと信頼感を持って行動しよう、という意味が込められている。困難と思われる問題も、定例会議では、テーマを意識したメンバーによってすんなり解決できた、と会長は語る。
 ことし2010年の会長、コメイジ・ポール氏は「おかげさまで」というテーマを掲げた。皆さんのおかげで、過去があり、現在があり、未来がある、という感謝の思いが込められているという。
 連合会へ新しいアイデアや技術を提供し、真剣に取り組んできたコメイジ氏は、実は沖縄系3世と結婚した日系のおむこさん。沖縄の伝統文化を子どもたちに継承したいという強い思いや、誠実な人柄で、メンバーの信頼を得た。
 2010年もさまざまな行事が計画されている中で「おかげさまで」を念頭に、コメイジ氏がどのようにメンバーを引っ張っていくのか、楽しみである。

【ロサンゼルス】当銘貞夫/微妙な息遣い伝える
 南カリフォルニアは地中海沿岸気候と呼ばれ、年間を通じて雨量は極端に少ない。そのことが映画の都ハリウッドの存在につながったとの歴史の一端に触れたのは、1970年代初期に私が学んだ大学の経済学部教授であった。
 当時、アメリカ政治は紆余(うよ)曲折があり、半面、経済は天にも届くかのごとく隆盛を極め、1ドルが360円の時代だった。ジョン・ガルブレイス博士(ハーバード大学教授)のベストセラー著書「Affluent Society―豊饒(ほうじょう)なる社会」の余韻がまだ残っているような世情であった。
 撮影時において雨のシーンをつくることは簡単だが、晴天をつくることは難しい。映画産業の中心がニューヨークからロサンゼルスへ移行したのにはそのような理由があったことを学んだ。
 あれ以来40年近い歳月が流れ、アメリカ経済も栄枯盛衰の憂き目にあった。しかし、一人映画産業は一時期テレビの普及で沈みかけたが、その後安泰である。つい最近、東京出身の若い映画監督落合賢さんに会う機会に恵まれた。
 同監督は20分のショート映画「ハーフケニス」でハリウッドにある全米映画監督協会から審査員特別賞を受賞した。日本人初の快挙、26歳の若きホープである。琉球新報の海外通信員であることがきっかけとなり彼と親しくなるチャンスが生まれた。
 通信員は人との交わりが重要となる。人から学び、情報を得る。その時は感謝のメッセージを添えて記事やエッセーの中で表現することにしている。今年も精いっぱい踏ん張って、沖縄出身の一市民として「米社会の微妙な息遣い」をお伝えしていきたい。

【ロサンゼルス】平安名純代/改革者の笑顔届けたい
 史上最悪の金融危機で、米国は「裕福な者を優遇するだけでは国の繁栄は長くは続かない」という教訓を学びました。巨額の公的資金の注入で、大手金融機関は息を吹き返しましたが、街なかには家や仕事を失った人々があふれ、再び貧困と格差の拡大が始まっています。実弾が頭上を飛び交うことはなくても、人々が明日への不安を抱えて暮らす状態は「平和」とはいえず、米国は失ってしまった希望の輝きを取り戻す努力を続けています。
 こうした中で真の豊かさや平和とは何かを考える時、それは国が所有する武器の威力や富の巨大さではなく、人々が自由と希望にあふれた生活を送ることができる状態を指すのだと肌で感じます。
 戦地から帰還した兵士たちが「武器を取れ」の代わりに「武器を置け」と訴え、息子を亡くした親たちが非暴力による平和な世界の実現を叫ぶ。今の米国には、現状を変えたいという人々の切実な想いがあふれています。
 物事の変化を実現させるのは「変える」という意思。何かを変えたいと心から願う人々の想(おも)いが束になった時、変化が生まれ、「改革」の波が巻き起こります。今年は何をどう変えたいか。よりよき明日を目指して戦う魂の改革者たちの笑顔を届けられるよう今年も走りたいと思います。