【島人の目】ヨセミテ紀行


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 娘夫婦が8月にはメリーランド州へ引っ越すので、短期旅行を計画、5月上旬に家族4人でヨセミテに旅行した。私はヨセミテは3度目だが訪れるたびに深い新たな感動がこみ上げてくる。行きはネバダ州境のルート395を北上、モハビ砂漠を突っ切り、デスヴァレー(死の谷)の横を通りすぎて行った。

 ルート395は1車線の小さな道路だが、私は好んでこの道を選んだ。娘夫婦にどうしても見せたい所があったからである。第2次世界大戦中に日系人1万人以上が強制収容させられたマンザナーに寄りたかったのだ。日系人は1942年、ルーズベルト大統領の指示で全米10カ所に約12万人が「敵性外国人」として各地の収容所に送られた。マンザナーもその一つである。「屈辱の日」として在米日系人史に刻まれている。
 ヨセミテには2泊、予約しておいたテント小屋はエルキャピタンの真下、マセード川がすぐそばを流れていた。ヨセミテは2000メートルの山頂に大氷河が切り開いた谷で、大中小さまざまな滝や川がある。
 ミラー・レイクに立ち寄った。ハーフ・ドームが逆さで写っている。デルタ地帯の一角にできた小さなレイク(湖)の湖畔で、どこかの小・中学生らが課外授業であろう、思い思いに写生、日記、詩、作文、写真撮影などに取り組んでいたのがほほえましかった。
 帰路はカリフォルニア中央地帯ルート99で一路ロサンゼルスへ向かった。中部カリフォルニアは大平野でフレスノは農業地帯、見渡す限り果樹園と野菜畑が続く。「The East of Eden―エデンの東」や「The Grapes of Wrath―怒りのぶどう」などで知られる作家ジョン・スタインベックはこの地で生まれ、アイルランド系アメリカ人の悲哀と家族の愛情物語を描き、映画化され一躍名声を得た。
 エデンの東で主演したジェームス・ディーンは若くしてこの地で自動車事故で死亡、多くの人に惜しまれた。フリーウェーから見える小高い丘にはカリフォルニアの州花ゴールデン・ポピーが満開で、間もなく終わるわれわれの旅を祝福しているかのようでうれしかった。
 のどかなこの地を旅しているとわが故郷沖縄の基地問題などは伝わってこない。(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)