【島人の目】パリで三線


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 すべては昨年の11月、文化庁文化交流使で琉球古典音楽三線の名手、喜瀬慎仁先生の来仏から始まった。先生は2カ月半にわたってパリに滞在し、無償でパリ在住の県系人やフランス人に三線を教えてくださった。「私はただ種を植えただけ、これから三線を続けていくかどうかは君たち次第です」とおっしゃって先生はパリを離れた。

 先生が去り、初心者の私たちのかじ取りをしてくれる指導者もいない状態では、不安よりも現実的に考えてこの三線クラブは自然消滅するに違いないと思っていた。
 しかしそれは杞憂(きゆう)だった。私も含め9人のメンバーは誰に求められるのでもなく、各自で練習し、時には互いに連絡を取り合って練習会を自発的にやり始めたのだ。私もその1人。気がつくと1日に1度は三線を触らないと落ち着かなくなってしまった。
 さらにフランス中に散らばっていた隠れ三線ファンたちが1人また1人と増え、ぜひ三線のことを教えてほしい、演奏会を開いてほしいという依頼があちこちから来ている。もちろん私たちは1人を除いてまだまだ初心者のクラブ。しかし少しでも三線を知ってもらいたい、目標を持つことで少しでも上達したいということで積極的に依頼に対応することになった。
 私たちの目標、それは2カ月半の間聞いて、心に刻まれた喜瀬先生の歌三線。もちろん到底届くはずのない目標に向かって今日も皆、三線の練習をしている。
(大城洋子、フランス通信員)