【島人の目】名選手と我喜屋監督


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 興南高校が春夏甲子園を制覇した興奮が冷めやらない9月上旬、同校の5人の選手が日本選抜代表としてロサンゼルスへやって来た。4日のアーバンユース・アカデミーとの試合を観戦した。その日、興南選手の活躍で全日本は快勝した。
 試合終了後思いがけない体験をした。1970から80年代にドジャースとパドレスで19年間活躍、オールスターに10回選出され、ナショナル・リーグMVPに輝いたこともある元大リーガー、スティーブ・ガービーさんと写真を撮る機会に恵まれた。私の肩に手を掛け、優しくほほ笑むガービーさんの気さくな顔が忘れられない。

 オールアメリカン、ミスタークリーン、アイアンマン(鉄の男)などの愛称を持ち、70年代後半のドジャース黄金時代を築いたガービーさんは押しも押されもせぬ大スターであった。4日の試合では始球式も行った。彼の息子も試合に出場し、九回裏に2ランホーマーを打った。今彼は61歳、パームスプリングスに居を構え、メディア情報の会社を持っている。
 われわれ県人会員は「興南の偉業」を祝して、歓迎会を持つべきではないかと比嘉朝儀沖縄県人会会長に進言した。「そうしよう、あなたが世話役になってくれないか」と返事が返ってきた。眞境名愛子芸能部長と3人が中心となって、準備に取り掛かった。おかげで当日参加者は150人、県人会館の収容人員をオーバーし外にテーブルを設定した。メディアも新聞、テレビを含め6社8人が取材に来た。企業の寄付、藤本節子さんから果物や花などの寄贈があり、多くのボランティアの協力で歓迎会は成功した。
 歓迎会では日本選抜を率いた我喜屋優監督との出会いが強く印象深く残った。あるときは大胆で果敢に攻め、あるときはきめの細かさ、鍛錬された選手の育成、チームワークの大切さ、選手への信頼感など万全の野球を見た。ガービーさんと我喜屋監督を関連付けるものがあるとすれば、それは野球を愛し、野球で名を上げ、人間愛に満ちあふれた人としての人間観であろう。
 戦後65年、沖縄県民が夢見た「一つの偉業の達成」に、私もアメリカに住む一県系人として幸せな瞬間に酔いしれ、感涙にむせんだひとときであった。
 (当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)