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ロサンゼルスで毎年行われる二世ウイーク女王選出までの過程は平たんな道ではない。居住区からの推薦、短期間のうちに日本文化の習得、容姿端麗はもちろん、大学での成績が優秀というのも条件。論文をまとめる力、演説にたけ、ユーモアに富み、人との巧みな会話。着物姿のみならずスイムスーツ姿の美しさなどが要求される。
これらの難関を突破して今年70回目となる二世ウイーク女王にラニ・クメ・ニシヤマさん(24)が選出された。ニシヤマさんの趣味は幅広く、ピアノ演奏、歌、料理、陶芸、旅行、バレーボール、スノーボード、美術館めぐり、おいしいレストラン探しなど、将来の夢である俳優業にかかわる要素を網羅している。
ニシヤマさんは県人会発展への功績や善意をもって他人に接した祖父ロバート・平良さん=2003年没、享年(80)=が忘れられないという。「祖父の偉大さを感じた。誰が今日の自分を想像できただろうか。女王に選出された姿を祖父に見せたかった」と涙した。
祖父の平良さんは両親が沖縄出身。11人きょうだいの9番目として1923年、ハワイのワイリア砂糖きび栽培地に生まれた。第二次世界大戦時に通訳として日本に出征。終戦後ハワイアン・ベーカリー料理学校で学び、26歳の時、友人から380ドルを借り、ハワイのヒロ市で一番目のベーカリーをオープンさせた。ビジネスは拡大の一途をたどり、ホノルル市へと移転、32年前にカリフォルニアにも出店し、全米、外国へも輸出するようになった。
平良さんは大学へは進まなかったが一時ハワイ大学で講義を受け持ったこともある。北米沖縄県人会のメンバーとなり、会館建設に多大な資金援助をしたとして、県人会(比嘉朝儀当時会長)から表彰も受けた。
事業経営の才能を発揮し、家族運営の小規模ビジネスを世界的規模にまで発展させた。敬(けい)虔(けん)なキリスト教徒として人道主義にあふれ、家族を大事にし、多くの友人に恵まれ、慈善団体に多大な援助の手を差し伸べて来ただけに、他界した際は多くの人が死を悼んだ。
当時ニシヤマさんは高校生。多くの人が葬式に参列、式場に収容しきれない人は外に列を作っていた光景を覚えている。
祖父の足跡を踏まえながらニシヤマさんは「日米親善大使、カリフォルニアの日系行事への参加・貢献の努力をしたい」と抱負を語った。(当銘貞夫通信員)