【島人の目】成田―ミラノ便廃止に思う


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 9月末、日本航空の成田―ミラノ直行便が廃止された。
 合理化を進める同社の国際線カットの一環だが、長年成田―ミラノ便を利用し続けた身としては寂しい限りである。寂しさは言うまでもなく日本へ帰る道が閉ざされたような気分から来るもの。

 帰国への道はほかにもたくさんあるのだが、地元のミラノから直接日本に飛べないという現実が喪失感を募らせる。個人的な心境である。が、同時にそれは日本という国が衰退していく象徴のようにも感じられて、深い感慨を覚えるのも事実である。
 路線縮小は日本航空のずさんな経営体質の結果だと承知しながらも、民主党政権が招いている国家の混乱や脆弱(ぜいじゃく)化の暗示のようにも思えてならない。
 最近日本から聞こえてくるのは、例えば航空関係では、虻(あぶ)蜂(はち)取らずに終わるのが関の山の「成田と羽田の両空港2拠点一体でアジア最強のハブを目指す」という“妄言”や、尖閣諸島問題で中国にいいように手玉に取られた揚げ句、姑息(こそく)な言動でごまかしを謀る政府首脳、円高問題で場当たり的なドル買い介入をして、その結果ますます円高を助長しつつある愚策…などなど。
 遠いイタリアから眺めていても、度し難い素人集団内閣が「自らが何をやっているのかさえ理解できないまま」右往左往している構図がはっきりと見える。
 自民党政権と大差ない現政権のそうしたひずみや無能無策ぶりが際立ってくると、日本航空の問題がいわば「日本の国の終わりの始まり」のようにさえ感じられてくるから不思議である。
 (仲宗根雅則 イタリア在住、映像ドキュメンタリー作家)