【キラリ大地で】アメリカ 池原えりこさん(沖縄市出身)


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アメラジアンの物語を紡ぎたいと意欲を見せる池原えりこさん

◆アメラジアン論研究
 「物語を紡ぐ場合、重要なのは『語っているのは誰か』ということ。だから私はアメラジアンの物語を紡いでいきたい」と話すのは、カリフォルニア大学バークレー校大学院生の池原えりこさんだ。

これまでダンサーやミックスメディアアートのパフォーマーとして活動してきた池原さんは、1992年から自伝に基づいた作品の創作を始め、これまで数々のイベントに出演。映像や音楽、写真にせりふなどを混合させたスタイルで、沖縄とアメリカを古里「コザ」に投影した作品を通し、沖縄のアメラジアンの存在を米社会で訴えている。

 10歳まで沖縄市照屋に住んでいた池原さんは、14歳で米国人夫妻の養子としてカリフォルニア州へ移住した。新しい国での新しい家族との新しい生活。「つらいことの方が多かったかな」と笑顔を見せる。
 移住した米国でよく思い出したのは、花札やトランプで遊ぶアメラジアンの子どもと大人たちの笑い声がこだまする「コザ」の雰囲気だ。「自分を普通の人間として扱ってくれる唯一の安全な居場所だった。心と体が守られているのを感じた」と話す。黒人兵だった父親の記憶はないが、子どものころはいつも、父に対する周囲の偏見と差別を感じ「恥ずかしい存在」と、とらえていた。
 渡米10年後に果たした里帰りでは級友たちと再会した。自分をいじめていたと思った友人らが「えりこがアメリカに行く時、泣いたんだよ」と教えてくれた。「もし沖縄に自分の居場所がなかったら、これからはアメリカを自分の国として生きよう」と覚悟を決めての帰国だっただけに、友人たちの温かさに自分の古里は沖縄だと、あらためて認識した。
 沖縄と比べ、カリフォルニアは多人種・多文化の社会だ。その歴史をひもとくと、肌の色や外見、人種、職種などによる差別の激しさに気付く。白黒を決めつける固定観念や差別と闘い、人権や自由を奪われまいと葛藤(かっとう)する市民が新たな物語を紡ぎ出していくカリフォルニアで暮らすうち、池原さんは「自分の使命はアメラジアンの物語を紡いでいくことだ」と確信。アメラジアン論確立のための研究に没頭する傍ら、自叙伝の執筆や「コザ」を軸にした在沖米軍と沖縄のかかわりに焦点を当てたプロジェクトも進める。
 「黒人系アメラジアンの局面から沖縄の歴史をたどることによって、隠れていたもう一つの歴史が見えてくる」。まだ語られていないアメラジアンの物語に息を吹き込もうと励む池原さんは、沖縄のもう一つの歴史を明るく照らす存在となりそうだ。(平安名純代通信員)