【島人の目】ケネディ時代の終焉


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 ジョンF・ケネディ大統領特別顧問のセオドア・ソレンセンが死去した。ケネディ大統領の「分身」といわれ、「スピーチ・ライター」として大統領のすべての演説草稿を書いた弁護士である。あの有名な「国家があなたのために何をするかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問いたまえ(Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country)」というフレーズはケネディ政権を象徴するものとして今日まで人々の記憶に残っている。その草稿はソレンセンが書いた。ケネディの著書でピュリツァー賞を受けた「勇気ある人々」のリサーチにも大きな役割を果たした。

 ケネディ大統領が暗殺されて47年が経過した。アメリカでは卒業式のことをコメンスメント(始まり)と表現しているが、当時のロバート・マクナマラ国防長官がベトナム戦争終了時に使用した言葉であった。マクナマラが死去したのは2009年で、ソレンセンが亡くなったのが10年10月31日であった。ケネディ大統領の側近はすべて他界してしまったので、あえて「ケネディ時代の終(しゅう)焉(えん)」としたのである。11月1日のロサンゼルス・タイムズ紙は2ページにわたってソレンセンの功績を追悼している。
 ソレンセンはネブラスカ州リンカーン市出身。1971年に私はそのリンカーン市を訪ねたことがある。友人がネブラスカ大学で博士号取得のため勉学に励んでいたのだ。嘉数啓名桜大学理事長の若き姿がそこにあった。
 当時私は新婚で、彼に妻を紹介したいこともあったが、本部町新里出身で小中高と同期の彼が博士号取得に取り組む姿に接したかった。彼は数少ないリンカーン市出身の有名人ソレンセンのことを誇りにしていた。
 就任当時ケネディ大統領を彷彿(ほうふつ)とさせたオバマ大統領であったが、今その兆しはない。ソレンセンのような有能な特別顧問に恵まれていないのも原因の一つだろうか。
(当銘貞夫、ロサンゼルス通信員)