本紙海外通信員2011年の抱負


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 世界各国で活躍するウチナーンチュの話題を届ける琉球新報海外通信員から、新年のメッセージが届きました。2011年10月に開かれる世界のウチナーンチュ大会への期待や提言、各国のお正月事情、通信員としての抱負を紹介します。

【イタリア】仲宗根雅則/開かれたウチナーンチュ大会に
 今年は世界のウチナーンチュ大会の年。1990年の第1回大会の時は、民間大使に任命されていた僕も帰国して参加した。前知事の稲嶺恵一さんと、シンポジウムか何かでパネリストとして同席した記憶がある。以来、大会の様子は僕なりに毎回気に掛けてきた。
 そこで思うのは、大会は県系人を招いて祝う形を取ることで、趣旨が外に向かって開かれているように見えながら、実はかなり内向きな祝典になっているということである。言い換えれば、ウチナーンチュ大会は何もかもが沖縄にこだわり過ぎているように見える。むろん沖縄にこだわることは重要だが「こだわり過ぎる」のは禁物だ。
 せっかく沖縄という極小の島社会を抜け出し、日本という小さな島国も飛び出して大きな世界で生きている方々を招きながら、ひたすら沖縄という環境だけにこだわっているのは残念だ。迎える者と迎えられる者が内輪で喜び合う様子も良いが、毎回毎回それでは「世界のウチナーンチュ大会」ではなく「ただのウチナーンチュ大会」だと揶揄(やゆ)したくもなる。
 今後は外に向かって進む気概も示すべきだと思う。具体的にどうするかというと、例えば手始めに南米などに多い本土出身の移民の功労者の方々も招待して、彼らの功績を大会で顕彰するのはどうだろうか。どちらかといえば日本社会から冷たく扱われることが多い同胞の移民や日系人の他府県の皆さんも、等しく大会に呼んでたたえてあげるのは意味のあることであろう。
 それは内向き志向に陥りやすい島国沖縄の人々が、こだわり過ぎを捨てて広い心や視野を持つきっかけの一つにもなるに違いない。そうなれば、世界のウチナーンチュ大会そのものが「沖縄限定の祭り」から抜け出して、全国的にも注目される祝典になる可能性もあると思う。

【ドイツ】外間久美子/寒波で恋しい故郷の太陽
 新年のお喜び申し上げます。ドイツは100年ぶりの大寒波に見舞われ、一面銀世界です。夏は緑のトンネル、秋は紅葉で黄金のトンネル、そして今、樹氷で見事に真っ白なトンネルとなり、まるで幻想の世界に招かれているようです。しかし、現実には、事故が多発し、交通機関もまひ状態で、学校も休校を余儀なくされたりで、まだ冬が始まったばかりなのに先が思いやられます。
 寒くなると余計に故郷沖縄が恋しくなります。沖縄の太陽と美しい海が恋しくなります。今年は、いよいよ世界のウチナーンチュ大会ですね。年に12週間半も休暇のある音楽学校は原則として、定められた休暇以外は休みが取れず、前回幸運にも秋休みと大会が重なり初参加でした。
 予想以上の感慨深い大会で、今回も秋休みと重なり参加できますようにと願っていたのですが、10日もずれ、断念せざるを得ない状態です。しかし、それでも諦めきれない自分がいて、何か方法はないものかと模索中でもあります。奇跡が起きて、皆さまにお会いできますように!

【ぺルー】赤嶺光弘/「郷に入りては郷に従い」寝正月
 2011年の新春を迎え、海外ウチナー面愛読者の皆さま、いかがお過ごしでしょうか。はるか南米ペルーより心から新年のごあいさつを申し上げます。
 家族4人、沖縄を離れて早くも35年の歳月がたち、ペルーでの生活が沖縄での生活より長くなりました。ペルーでの生活が始まったころ、真夏のクリスマスと正月に戸惑いを感じましたが、今ではすっかりなじんできました。
 ペルーは人口の約90%がカトリックで、クリスマスを盛大に祝います。国土が日本の約3・3倍あり、クリスマスになると家族が待つ千キロ以上も離れた生まれ故郷へ、半年も前から少しずつためて買い込んだクリスマス・プレゼントを持って帰っていくのです。
 人口2900万人のうち、半数以上が1日2ドルの生活をしているのが実情で、そうした家族は質素なクリスマスを送っています。中産階級以上の家族のイブの夜は七面鳥の丸焼きとシャンパンでキリストの誕生を祝うのです。ケーキの代わりにパネトン(1キロもあるフルーツの入った菓子パン)とお湯で溶いたチョコレート・ミルクを飲むのが習慣で、クリスマス・プレゼントを開けて家族で自慢し合うのです。お正月はと言うと、ほとんどの家族が寝正月です、大みそかの夜は、明け方まで、友人同士でダンスに興じるなど、日本では考えられない正月の過ごし方なのです。
 ペルーに来た当初、日本の習慣でおせち料理もどきを作って親類や友人を待ちましたが、結局おせちが余ってしまい、その翌年からは「郷に入りては郷に従え」の言葉通り、寝正月と決め込みました。元気なうちに日本でのお正月を味わいたいと思っています。

【アメリカ】鈴木多美子/すてきな人々 さらに紹介
 師走に入り心機一転、身の回りの品々の整理を思い立った。長年の記事のスクラップ帳に目をとめる。東海岸から西海岸へ、北はニューヨーク、中西部はイリノイ、オハイオ州、南はジョージアやフロリダ州、そして国境を越えてカナダへと駆け巡っていた。各地で取材に協力してくださった懐かしい方々、歓迎してくださった県人会の方々との思い出が走馬灯のように頭の中を回る。この大国で異文化の壁や差別と闘いながら、しっかりと根を張って生きてきた沖縄系1世や2世の感動的な生きざまを拙文ながら伝えられた喜びが湧いてきた。
 各県人会の記念行事に招待され、国際結婚した方々のたくましさとユイマール精神を紹介することができ、魅力ある人との出会いは、海外通信員の醍醐味(だいごみ)だと感謝。通信員としての歩みが私の人生を豊かにしてくれたと実感する。あと数年で還暦のよわいになってしまった。これからも心身ともに健康で多くのすてきな方々のすてきなお話を拝聴できたらと思う。
 ワシントンDC沖縄会は、若き沖縄系2世の会長が誕生した。新妻は沖縄出身。新会長を支える役員の協力体制も完璧。世界のウチナンーチュ大会参加への取り組みがますます活発になっていくだろう。

【ロサンゼルス】当銘貞夫/「島人の目」で一段と大きく
 2010年の銘記すべき出来事といえば、興南高校から5人の選手が日本選抜代表として17人の選手と一緒にアメリカを訪れたことだ。日米親善高校野球に出場した興南の我喜屋優監督率いる日本選抜チームがオールアメリカンと試合をした。北米沖縄県人会館で歓迎会を実施、150人が彼らの健闘を祝った。その夜のうちに記事を書いて翌日の琉球新報に掲載され、さらにその記事が共同通信はじめ「47NEWS」の電子版に乗って全世界に配信された。
 「2050年までに沖縄からノーベル平和賞の受賞者を、というのが私の夢」とサイフ世界大会に沖縄の学生を引率した琉球大学の特命准教授宮里大八さんの宣言。彼の心意気に賛同、期待に胸を膨らませた。宮里さんは受賞者としてどんな人を理想像としているのだろう。「インド独立の父」マハトマ・ガンジーのような人か、ケニアのワンガリ・マータイさんのような人か。あるいは基地撤廃に努力した県民の一人だろうか。
 今年10月の第5回「世界のウチナーンチュ大会」に参加を予定している。沖縄の文化・芸能をとくと鑑賞したい。中学高校の同期生らと「歓談の宴」を持てればと思う。50年以上も会っていない友もいる。まだ訪れたことのない八重山、宮古の「琉球の島々の風」を受け、人々と接してきたい、などと頭に浮かぶ。
 新たな年もまたカリフォルニアを中心にウチナーンチュの活躍の記事、アメリカの良きところを「島人の目」に託して一段と大きな通信員になるよう努力します。

【フランス】大城洋子/今秋のパリは「沖縄年」
 明けましておめでとうございます。今年はウチナーンチュ大会が沖縄で開催される年、他の国に滞在されている県出身者、県系人の方々同様、在フランス県人会にとっても重要な年であります。小さな会ではありますが、一人でも多くの在フランス県人会会員が帰沖し、沖縄の皆さんに存在をアピールできたらと思っています。10月の大会後には琉球料理研究家、山本彩香さんの琉球料理のデモンストレーションと講演がパリをはじめフランス各地で開催が決定しており、美食で知られるフランスの方々に、恐らく初めて本格琉球料理が紹介されることになります。果たしてどのような反応を得られるか、今から本当に楽しみです。
 さらに、沖縄県芸能関連協議会の琉球古典芸能公演が秋のパリ公演に向けて準備を進めており、この企画も実現すれば、本格的な沖縄の芸能が紹介されることになり、2011年のパリはまさに「沖縄年」となりそうです。そうなるべく着々と準備を進め、1人でも多くのフランスの方々に沖縄を知ってもらう運動を続けたいと思っております。
 今年、パリ旅行の予定を立てている沖縄人の皆さん、沖縄関連行事が続く秋ごろ、10月下旬から11月下旬にぜひおいでください! 「在フランス沖縄県人会ブログ」で検索すれば問い合わせできます。暗い秋空でめいっているパリっ子たちに沖縄の明るい魂を見せつけてやりましょう!