【アメリカ】琉球人の生き方を指針に 神谷さん、北米県人会で講演


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講演終了後の(左から)前北米県人会長の比嘉朝儀さん、神谷良昌さん、天願妙さん、徳永愛子県人会文化部長=県人会山内ビル

 鎖国時代の日本に民主主義や国際交流などの考えをもたらし、日本の夜明けに多大な功績を残したとされるジョン万次郎こと中浜万次郎と沖縄との関わりを紹介する講演がこのほど、北米沖縄県人会で開かれた。糸満市の歴史に詳しく市史編集に関わった神谷良昌さん(県対米請求権事業協会地域振興部長)が万次郎が7カ月を過ごした沖縄の影響について「万次郎生来の他人を重んじる性格と相まって琉球人の生き方を指針としたようだ」と強調した。

 万次郎はカツオ漁中に嵐で遭難、アメリカの捕鯨船に助けられ、10年のアメリカ生活後、日本に帰る途中で沖縄に立ち寄った。
 鎖国のため日本本土への直接帰国を禁じられていた。当時琉球は薩摩藩の植民地として住民は圧政に苦しんだ時代だったが、琉球の人々は万次郎と同行した友人を温かくもてなしたという。
 神谷さんによると、糸満の女性はホカホカの芋、村の娘は温かいシーミー茶、村の衆は「イチャリバチョーデー」で交流した。「後に中浜万次郎の称号を与えられ出世した万次郎であったが、生涯その志を忘れることはなかった」と神谷さんは語った。(当銘貞夫通信員)