【ブラジル】金城氏(国頭出身)に大十字章 県人の結束、発展へ貢献


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県人の結束などに多大な功績を残した金城徹氏(右)と妻の敏子さん

 沖縄県人会サント・アンドレー支部(宮城あきら支部長)主催の新年祝賀会と金城徹(かなしろ・てつ)氏(87)=国頭村出身=のグランクルス(大十字)章受章祝賀会が、このほどうるま会館で行われた。会場には約200人の会員家族や知人が集い、新年を寿(ことほ)ぐとともに、長年県人会や文化センターの活動に積極的に関わり貢献してきた金城氏の功績をたたえて、ブラジル教育統合協会から授与されたグランクルス章受章を祝った。

 金城氏は終戦後、食料不足の沖縄で家畜商をしていたが1959年にブラジルに移住。ウチナーンチュの多いブラジルのヤンバルと呼ばれるジュキア線イタリリーで製麺家内工場を開いた。その後バナナ自営農・卸商をしながらバナナ生産組合を創立。空調設備温室を導入し、アルゼンチンへの輸出なども手掛けた。
 また沖縄県人会イタリリー支部長を2期務め県人結束のために尽くした。
 71年にはサント・アンドレー市に移住、露天商やレストランを経営した。88年から海産物レストランを開業、このほど3号店をオープンした。その傍ら支部長や老壮会の会長を歴任し、ゲートボール愛好会の育ての親として、地域に根差した沖縄芸能・文化・スポーツの発展に貢献している。
 これまでにも数々の感謝状や功労賞を受賞しているが、昨年9月に完成した文化センター運動場脇の休憩所施設には、同センター創立以来の功労者として金城氏を顕彰した名前が銅版プレートに刻まれている。
 13年前に患った喉頭がんのため声がかすれているが、県人会総会や会議などではマイクを手に堂々と意見を述べる。
 「沖縄でもブラジルでも友人に恵まれてきた。誰とでも分け隔てのない付き合いをしてきたつもり。ブラジルに来て、本当に良かった」と語る金城氏は、皆から「テツさん」と慕われ、米寿を迎えてますます意気盛んだ。
 敏子夫人との間に2男5女の子宝に恵まれ、現在孫が17人、ひ孫が1人いる。(与那嶺恵子通信員)