【ブラジル】幻の小学校跡確認 県人会「百年史」向け資料収集


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移民資料収集に合わせて交流を深めたサント・アンドレー、サントス両支部の県人会会員

 第1回移民船「笠戸丸」を下り、沖縄移民が初めてブラジルの地を踏み締めたサントス港。そのサントスでの移民の歴史は、現在編集が進んでいるブラジル沖縄県人会の「写真で見る百年史」には欠かせない。宮城あきら同編集委員長、山城勇同委員ほか3人の委員は、サント・アンドレー支部会員15人とともに、このほど支部交流も兼ねてサントス支部(玉城幸盛支部長)を訪ね、資料の提供を依頼した。

 サントス支部は、支部会員46人、婦人会員約50人の構成。92歳の元支部長の玉城文雄さんをはじめ、宮平善吉さん、伊良波朝昭さんや与那嶺禎信さん、東恩納盛正さん、玉城支部長ら2世の役員が一行を出迎えた。
 沖縄の夏を思い出させるサントスの蒸し暑さに汗をかきながらも、支部会館で和やかに懇談会が行われた。玉城文雄さんらの話を聞き、県人移民の歴史を熟知する山城委員が記憶をたどりながら確認。現在は残っていない和志(かずし)小学校の写真や笠戸丸移民上原直松家の写真など貴重な昔の写真を提供してもらった。
 懇談会の後、玉城文雄さんたちの案内で、1938年に沖縄県人が中心となって創立した和志小学校跡地を訪ねた。大戦中に日本人強制退去でサントスの街を追われた県人たちは、戦後同地に戻り、同小学校を再建し子どもたちの教育に力を尽くしたという。草むらに覆われていた跡地で階段の一部が見つかり、宮城委員長らは感激しながら早速写真に収めていた。移民資料収集は、その地域の歴史を知る1世が健在のうちにやらなければ難しくなる。しかし、ブラジルは広大であり、ボランティアでそれを成し遂げるのは容易ではない。県人移民の歴史をどう残すか、いま沖縄県人会は各地の会員や県人子弟を訪ねて、この困難な課題に取り組んでいる。
(与那嶺恵子通信員)