【キラリ大地で】アメリカ/バルドウイン・春子さん(76)旧豊見城村出身


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「10月に沖縄に行くのを楽しみにしている」と語るバルドウイン・春子さん=ノースカロライナ州の自宅

 ノースカロライナ州カメロンに住む、バルドウイン・春子さん(旧姓当山)宅は、10エーカーの敷地に自宅と温室、そして作業部屋が立っている。目に入ってくるのは、もみや桜の木々、そしてアヤメやツツジなどが所狭しと咲く日本庭園。そこには、石畳が続き、池にはコイが泳ぎ、日本橋が架けられている。

 旧豊見城村高嶺出身で今年76歳の春子さんは、戦後、両親を失い、弟と二人きりになった。当時、まだ少女であったが春子さんは、生活の糧を得るために紅芋や野菜を作り、豊見城の村から徒歩で那覇の街へ出て路上で商売をした。「学校へも行けず、毎日肉体労働ばかりで、楽しい事は一つもなかった」と当時を振り返る。その後、お金になる仕事をと小禄の米軍基地で軍服の洗濯とアイロンの仕事をする。さらに嘉手納の軍人宅で住み込みのメイドやクラブでホステスなどをし、弟を高校に行かせた。
 縁あってジョージ・バルドウインさんと結婚しアメリカに渡る。春子さんは、デザイン家電メーカーのブラック&デッカー社の工場で働いた。最初、流れ作業の仕事をするが、機械に興味を持ち、機械オペレーターとして30年間、会社に信頼される働きを見せた。「私がここまでこられたのも、幼い時から苦労した事が大きな力になっている」と春子さん。
 退役した夫ジョージさんと田舎に土地を求めて最初27エーカーの森を買い、開墾し二人だけで終(つい)のすみか作りを始めた。設計の案はすべて春子さんが考え、土台から配管、配電の施行も手掛け、8年間をかけて完成させた理想の家。すべての材料費や室内のアンティーク家具などの調度品は、現役だった春子さんの給料から支払われた。
 しかし、その思い入れ深い家は、昨年の夏、火事で全焼。失意の二人だったが、業者に頼み同じ場所に全く同じデザインで建築してもらい、昨年末に完成した。新築の家で余生を過ごしていた矢先、ジョージさんが肺がんで入院。今年の3月、75歳で逝った。新しい家には、ひと月しかいなかった。まだ悲しみの中にいる春子さんだが、ガス会社の管理職に就いている長男と、大学のエンジニア学部を首席で卒業しコンピューターが専門の次男が気遣って遠くから駆け付けてくれる。「つらい時、精神物的両面で助けてもらった県人会の存在は大きい。県人会の皆と10月に沖縄に行くのを楽しみにしている」と最後に笑顔で話してくれた。(鈴木多美子通信員)