【キラリ大地で】アメリカ/宮城能松さん(73)那覇市出身


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フェイエットビル県人会創立15周年記念祝賀会で琉舞を披露する宮城能松会主

 カリフォルニア州ロサンゼルスに宮城能松琉舞民謡研究所を構え、現在ニューメキシコ州やジョージア州など全米7カ所に支部を置き沖縄伝統芸能の普及に尽力しているのは、那覇市出身の宮城流の宮城能松会主(73)だ。

4月に開催されたフェイエットビル県人会創立15周年記念祝賀会の際には、10日前にノースカロライナ州入りし、地元の上村多美子琉舞研究所の門下生にけいこをつけ、本番当日は全員の髪結いから化粧までを手掛け、一役も二役も買って出た。自らも踊りを披露し、観客を魅了した。
 能松会主は、1952年に初代宮城能造琉舞研究所に入門して以来、渡米後も芸を磨き、84年に師範免許披露公演、94年には、芸歴40周年記念公演、2003年には、50周年記念公演を行った。東部の県人会の創立記念には毎回参加し、琉舞を披露し祝賀会に花を添えてきた。
 ノースカロライナ支部の上村琉舞研究所の発表会には、総責任者として指揮を執った。一方民謡でも、かつて玉城安定さんとのデュエットで「国頭ジントヨー」や「スクチナータンメー」など2枚のレコードを出した。民謡、踊りとともに芸能生活58年を迎え、ますます意気盛んな能松会主は「フェイエットビル県人会は、ユイマールの精神があり、家族的な温かさがある。そんな沖縄の心に引かれて西海岸からやってきている。この地にも沖縄県人会館が建設されることを願い、頑張っている」と抱負を語った。
 そして、最後に「若さの秘訣(ひけつ)とは、気持ちは明るく前向きで、姿勢はいつでも胸を張って人に見られていることを意識すること」と話してくれた。(鈴木多美子通信員)