【島人の目】逆カルチャーショック


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 里帰りし、長期滞在していると、冠婚葬祭に出席する機会があるが、戸惑うのは、しきたりや作法など。初めて親せきの告別式に参列した時の事。終了時間ぎりぎりに、一人でお焼香するはめになった。遺影に手を合わせるが、前にあるのは、粉末のお香。あれ、どうするんだっけ? 指でつまむのは、何回? それを上げる高さは目それとも額まで? 自問自答中、一斉に注がれる親族の目。最後のおじぎもぎこちなく終わってしまい、故人には失礼な事をしてしまったと反省の一途。作法の分からない事にカルチャーショックであった。

 昔、沖縄では、各家庭で葬儀一般をしていたのにいつの間にか、斎場に変わり、儀式も本土化された。昔は、ヒラウコーを使い、僧侶でなく、物知りの親せきのおばさんが霊前やお墓に祈りをささげていたのでは。
 せんだって身内の告別式の際、葬儀社から手配してもらった僧侶に経を上げてもらった。県外に嫁いで60年以上になる伯母がその僧侶と同じ経を念じていた。後で、伯母から「いつから、私と同じ宗教になったん?」と聞かれた。宗派について、考えることもなかった。周りも何派でも良いとのこと。だが、よく考えてみると聞いたこともない意味不明の経を上げてもらうこと自体、信者でもないのに良いのかと。
 昨年参列したおいの結婚式。家族は、日蓮(にちれん)宗の檀家(だんか)であるが、結婚式は、キリスト教式。大安とあって何組もの式が行われていた。ホテルの最上階に備えられているチャペルでアルバイト風の牧師がほとんど英語とつたない日本語で「イエス・キリスト」の名の下で愛の誓いの儀式を執り行った。賛美歌を歌い、最後に「アーメン」。参列者が突然、にわかキリスト教徒に変わった。
 後日、友人に信心より形式を重んじる日本人の宗教観の不思議さを話すと「こんなもんよ」の一言。そうか、へんなのは、私だったのか?
(鈴木多美子、米バージニア通信員)