【アメリカ】夢実現へUターン決意 歯科衛生士・サンドバルさん


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インタビューに応じるサンドバル美恵子さん=リトル東京のミヤコホテル

 20年のアメリカ生活の後、沖縄に帰り住む決意をした女性がいる。サンドバル美恵子さん(45)=旧姓・又吉=がその人だ。米国滞在中2009年に習得した琉球民謡最高賞と、同年に光史流古典太鼓優秀賞を本場でもっと伸ばしていきたいというのが大きな理由である。

年老いた母のそばにいていたわりつつ一緒に生活したい、というのももう一つの理由だ。
 決意実行までに多くのこだわりがあったことはいうまでもない。年齢的な問題、子供3人の教育問題、生活費をどのように賄っていくかなど解決しなければならないことが山積していた。
 美恵子さんは浦添高校を卒業後、歯科衛生士専門学校で学び、歯科衛生士免許を取得した。22歳で米軍人であった現在の夫と沖縄で出会い結婚、1989年に米国カリフォルニア州オーシャンサイド市に移住。その後3人の子供の母となり、2003年にムリエタ市に住居を移した。
 1994年にカリフォルニア州、レジスターデンタルアシスタントの試験に合格、免許を取得した。その後、オーシャンサイド市にあるビーチサイドデンタルに勤務していたが、2年前に退職。その後、沖縄での就職事情を探索した。
 長女と長男は夫の元に預け、10年6月に沖縄に移り住んだ。
 次男を読谷のクリスチャン・スクール(カソリック系)に入学させ、自らは宜野湾と浦添の歯科医院で歯科衛生士として働く。その傍ら島袋清助民謡研究所で琉球民謡の研さんを積む。「梅の香り大会」で準優勝に輝いた。半年に一度は米国に住む家族に会い、永住権の更新に努めている。
 「今とっても充実しています。沖縄を永住の地と決めました。後悔するようなことはありません。視野もだんだん広がってきており、あくまで前進思考で人生を全うしたい」とキッパリ言い切った。
(当銘貞夫通信員)