【キラリ大地で】アメリカ 生涯現役貫き はつらつと 真栄城美枝子さん


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生涯現役を貫き沖縄会の大いなる助っ人となっている真栄城美枝子さん=ワシントン市内

 颯爽(さっそう)とし年齢を感じさせない真栄城美枝子さん(75)は、華やかな経歴を持つ。女子の大学進学がまれな当時、美枝子さんは、琉球大学に進学し英文学を専攻した。1959年、大学卒業後、これまた当時では希有(けう)な米国留学への切符を手にし、コロラド大学で英米文学を専攻した。「琉大では、英会話と文法が主流でシェークスピア作品でさえ、文学としては学べなかった。アメリカの大学に来て『リア王』等を文学として学べた」と話す。

 2年後に帰国。輸入会社の秘書の職に就くが、その仕事に物足りなさを感じ、琉球民政府(USCAR)の公衆衛生福祉部での通訳の仕事を見つける。公衆衛生助手として、公衆衛生の原理等を学ぶ。そのことが将来の道の礎をつくった。美枝子さんは、「当時は、沖縄蔑視のキャラウェイ旋風が吹いている真っ最中で、通訳として葛藤があったが、米琉の懸け橋になることと新しい分野への挑戦のため懸命に働いた」と当時を振り返る。
 向学心旺盛な美枝子さんが再度米留学を実現させたのは3年後。ミシガン大学で公衆衛生学部の修士号を取得した。その後、エール大学の公衆衛生疫学部で働くが、子育てのため退職。同大学で日本語非常勤講師を務めた。
 さらに大学に通いコンピューターを学ぶ。80年から10年間、米国国防総省医大の疫学衛生統計部でコンピュータースペシャリストとして、研究室のマネジメントや公衆衛生大学院生の指導に当たった。95年から国立衛生研究所所属のアレルギー・伝染病研究所エイズ課でプログラム・プロジェクトマネジャーとして仕事をする。退職後の今もパートで臨床実験リサーチプログラムのアシスタントとして働いている。
 生涯現役を貫いている美枝子さんは、沖縄会のためにも一役も二役も買っている。初代副会長、そして会長職は過去2回。現在は、沖縄会の優秀な子弟に奨学資金を与える教育基金委員会の一人。さらにDC沖縄会の会報誌「でいご新報」の編集責任者として日本語、英語の翻訳も手掛けている。
 美枝子さんは、沖縄会との関わりについて「83年に開催した初めての新年会で司会を担当していた時、観客の琉舞を見て流していた涙が忘れられない。沖縄会は、遠く異国に住むウチナーンチュにとって必要だと悟った。だから今でも沖縄会に携わっている。これからの課題は、次世代につなぐこと」と語る。2女と孫5人がいる。「生きがいは孫の成長」と祖母の素顔も見せた。(鈴木多美子通信員)