【キラリ大地で】アメリカ 夫婦で県人会長歴任 ブレイン・アサトさん、逸子・アサトさん


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そろって沖縄会の会長を務めたブレイン・アサトさんと逸子・アサトさん夫妻

 ワシントンDC沖縄会の会長職を夫婦で歴任し、役員を退いた今も沖縄会のために尽力し、会員たちから絶大な信頼を得ているのがブレイン・アサト、逸子夫妻だ。2002年、ブレインさんの仕事の関係で家族で沖縄からバージニア州に移って来た。
 会長になったいきさつを逸子さんは「04年4月に会員になり、同年10月の定例会に参加したところ、新役員を選ぶ会合で即、会長に選出された。右も左も分からぬままの出発だった」と話す。

 会員になって日が浅い逸子さんは、まず会員たちを知ることから始めた。三線と琉球舞踊のグループの練習場に足を運び、さらに地域連絡委員と情報を交わし、模合、昼食会などにも参加し、沖縄会の活動への要望などを聞きながら親睦を深めていった。
 困っている会員や新しく来た沖縄系の人がいれば、すぐに会うことを率先した。05年には、NHK沖縄「絵で描く戦争体験」の特別企画へ全面協力し、会員の絵が放映された。その他、稲嶺恵一前県知事の歓迎昼食会の準備や、何年も保留されていた沖縄伝統料理のレシピ本の出版を実現させ、売り上げを会の活動費用に充てた。そして沖縄会創立25周年記念を無事成功裏に終わらせることができた。逸子さんは、4年間務めた会長職を辞することを決めた。だが、当時候補者もいないまま、続投かと思いきやブレインさんが会長になることを決意してくれたのだ。逸子さんは「夫は、4年間私の傍らで全てのイベントを手伝い、悩みを聞き、アドバイスをしてサポートしてくれた。会長職を引き受けたのも私の肩の荷を下ろしてあげたい一心からだった」と当時を振り返る。
 そして、ブレインさんは、会長として各行事の準備から当日のイベントの進行、そして09年の仲井真弘多知事訪米の歓迎会を行い、会長としての職を全うした。現在は、教育基金委員会のメンバーの一人である。
 逸子さんは、会の会報誌「でいご新報」の編集スタッフであり、第5回世界のウチナーンチュ大会の臨時小委員会のリーダーとして沖縄県との連絡係を務めている。「沖縄会は、家族的で故郷と現地を結ぶ拠点であり、異国に住むウチナーンチュたちの心のよりどころとして存在価値は高い。そんな会の存続を支えていきたいと思い、奉仕を続けている。沖縄会の会合は、夫婦で休まず出席している」と逸子さん。さらに二人は、他州の県人会の祝賀会等に夫婦そろって出席し、多くのウチナーンチュと交流する楽しみを分かち合っている。
(鈴木多美子通信員)