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在亜沖縄県人連合会(新垣定二(ていじ)会長)がアルゼンチン沖縄県人移民100年史の編さん作業を進めている。2008年に開始したが1世を中心にした聞き取りなど作業が膨大なため、完成時期は決まっていない。
アルゼンチンの県系移民1世の70代がほとんどの編さん委員8人の中で、唯一若い世代で中心的役割を果たしているのが名桜大学で南米移民史を学んだ東京出身の丑野(うしの)野隆史さん(27)だ。
丑野さんはアルゼンチン移民について「ブラジルやペルーに比べ団体ではなく、個人渡航の転住が多いのが特徴。ラプラタ川を渡ったりロバでアンデス山脈を越えるなどアルゼンチンの移民の歩みはワイルド。それだけに渡航に関する資料がなかなか残っていない」と話す。
1908年に初めてアルゼンチンに渡航した県人は2人の名前が挙がっており、どちらも個人渡航者。一番最初が誰か引き続き調査を進めるという。
丑野さんの父親は考古学者。ペルーで発掘調査などを行っており、丑野さんは小さいころから南米の文化や歴史に興味を持っていた。東京の高校を卒業後、中南米文化コースのある名桜大学に進学。在学中に1年間ブラジルにも留学した。名桜大卒業後、同大を通じて在亜沖縄県人連合会から移民史編さんの協力依頼があり渡航した。
3世や4世など若い世代との交流もある丑野さん。「若い世代は日本語はできなくても祖父母の出身市町村は知っているし三線やエイサーなど沖縄文化に親しんでいる。音楽を通してウチナーンチュとつながっていたいという気持ちの表れだろう」と指摘。また「留学生による相互の交流制度は若い世代に沖縄の関心を高める上でとてもいい。今後も続けてほしい」と話した。
(宮城久緒)