【島人の目】後輩に何を伝えるか


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 日本で放送されているテレビ番組の一つに、さまざまな業界の人が母校の小学校でオリジナルの授業をする「ようこそ先輩」がある。これほど大掛かりなイベントではないが、第5回世界のウチナーンチュ大会で、「沖縄県内の学校を訪問し交流を通して、沖縄の子どもたちと世界のことを学ぼう」というレッツスタディー交流プログラム企画がある。そこで私は二つの学校を選んだ。

 母校の上本部中学と西原中学である。アメリカ南カリフォルニア地域のウチナーンチュの生活、ロサンゼルス地域の子どもたちの学校生活、遊び、歌や踊りなどを生徒たちとの質疑応答を交えて話し合う。
 1996年西原高校マーチング・バンドがカリフォルニア州パサデナの「ローズパレード」に日本代表として派遣された。当時、私は北米沖縄県人会の青年部長。プレーヤー全員をロサンゼルスのウチナーンチュやアメリカ人家庭にホームステイさせ、翌日にはパサデナ市のコロラド・ストリートをバンドメンバーと一緒にパレードした。その模様を後日、琉球新報に書いた。
 西原中の担当教諭・仲程奈緒子さんのクラスでは、総合の時間を利用し、移民の歴史について調べているグループがあり、新聞作成を進める中でいくつか疑問点を列挙、グループ代表の下門きよかさんが10項目の質問をしてきた。
 大会に参加の意義、なぜ移民したか、最近の沖縄の印象などであった。西原中では「新聞、メディア」、上本部中の担当教諭・名渡山弘子さんのクラスでは「移民としてのアメリカ生活」について質疑応答する予定。
 これらの交流プログラムを通して、私が両校の生徒に「何を手渡し、残すことができるか」を今考えている。成功とは程遠い米国移民生活であるが「ジャーナリスト、コラムニストとして生きる喜びを見いだした」と言えば、生徒らの共感を呼ぶことができるだろうか、と自問している。
(当銘貞夫、米国ロサンゼルス通信員)