社会

1908年ブラジル移民の一歩 日の丸103年ぶり帰郷

 【南風原】1908年に日本からのブラジル移民第1船「笠戸丸」がサントス港に到着した際、沖縄移民の総代を務めた故城間真次郎さん=南風原村津嘉山出身=が下船時に掲げたという日の丸が8日、故郷の南風原に帰ってきた。15日まで南風原文化センターで展示される。日の丸を持ってきた与那嶺真次ブラジル沖縄県人会長は「重みを感じた」と1世たちの思いと歴史に思いをはせた。

 日の丸は縦74センチ、横77センチ。与那嶺会長のおじで、城間さんの孫の故宮城真次郎さんが保存していた。現在はブラジル・ジアデーマ市の沖縄移民資料館に展示され、昨年7月に渡伯した大城和喜・南風原文化センター前館長が「町民に見てほしいので、世界のウチナーンチュ大会の際に南風原に持ってきてほしい」と依頼した。展示終了後、同資料館に返却される。
 6日に那覇空港に到着した与那嶺会長が日の丸を掲げ、笑顔で空港に降り立った。与那嶺会長は「城間さんが沖縄移民の団長として船から下りた時に広げた旗。自分も飛行場に降りたら広げようと思った。感激した」と語った。
 大城前館長は城間さんが詠んだ琉歌「雨や降て湿めて 季節待ちゅらでもの 播(ま)き起きし種の はえなうちゅみ」を紹介。1世がまいた種が2世、3世の時代に芽を出し、子孫が繁栄してほしいという願いが琉歌に込められていると解説。笠戸丸乗船の日本人781人のうち、県出身者325人(南風原出身者45人)の総代として「城間さんは不安と期待があったと思うが、与那嶺会長が実りを持って帰ってきた」と語り、日の丸の「103年ぶりの帰郷」を喜んだ。
 城間さんは1873年生まれ。県立師範学校卒業後、教師を務め、校長代理に。海外への夢を抱き、カナダ行きが決まっていたが、県出身移民の監督役を務めてほしいと頼まれ、35歳で渡伯。移住後も多数の県人を引率して鉄道工事に参加したほか、ホテル経営やコーヒー栽培、農産物の仲買商などで暮らしを支えた。