帰郷喜び 照屋さん(ブラジル)苦境越え、感慨深く


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ブラジルで化粧品販売店を経営する照屋勇吉さん(右から)と、妻の幸子さん、姉の弘子さん(中央)、弟の敏雄さん、弟の妻の桂子さん(左端)=11日、那覇空港

 12歳で南米に家族で移住して以来、53年ぶりに沖縄に帰ってきた照屋勇吉さん(64)=那覇市小禄出身。「昔遊んだ野山はかつて遺骨や不発弾が眠っていたが、今は整備されだいぶ都会になっていますね」と話し、故郷を離れた年月の長さを実感していた。

 照屋さんは両親と共に1958年ボリビアに渡り、68年にブラジルに移住した。現在はサンパウロの中心部の繁華街に約80人の従業員を雇うほど成長した化粧品販売店を経営している。
 沖縄への里帰りは「両親世代が行く所」という認識もあって帰郷する機会を逸していたが、親も数年前に他界し、今回娘や息子に背中を押されて、妻ときょうだい5人でウチナーンチュ大会に参加することになった。
 今の仕事を始める前はスーパーマーケットを2店舗経営していたが、政権が代わり、2年の契約で返済する予定の借り入れが3カ月で返さなければならなくなり、膨大な借金を抱えることに。神奈川県に5年ほど出稼ぎに出て、8年かかって借金を完済した。
 最近、ブラジルの日系人にとって肩身の狭いニュースは、日本人の自殺者が多いという話題。「交通事故死者数よりも多いと聞く。ブラジルは自殺がほとんどない。どんなに人生どん底でも、絶望することはない。やり直しはできる」と力説する。
 借金返済後、新たに今の事業を始めて10年目を迎えた照屋さん。85平方メートルの広さから始めた店舗も、今は600平方メートルにまで拡大。4人の子と5人の孫に囲まれ、帰郷できる余裕ができたことに喜びを感じている。(知花亜美)