【キラリ大地で】アメリカ 琉舞と三線に情熱 ヘレン・富士子・ヤマダさん


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
三線と琉舞が心の糧となっているヘレン・富士子・ヤマダさん

 琉球舞踊と三線に情熱を注いでいるのがハワイ出身のヘレン・富士子・ヤマダさん(42)だ。ヘレンさんは、「ハワイに来た沖縄の舞踊団の踊りを見て魅了され、自分もいつかあんなふうに踊りたいと幼心に思い、琉舞道場に通った。三線は、母親から手ほどきを受けたことがあった」と幼少時代を思い出す。

 かつては祝い事などがあるたびに、ヘレンさんの踊りが披露されたが、多感な高校生の時に踊りからいったん遠のいた。結婚後、子育てをしながら会計学の修士号と不動産の資格を取り、銀行で税金と会計監査の仕事を続けたヘレンさん。陸軍勤務の夫・ウェイドさんの転勤でバージニア州に移転し、沖縄会と琉舞グループの存在を知り、踊りを再開。そして三線にも挑戦することになった。
 ヘレンさんにとって三線と琉舞は、単なる趣味の領域ではなく、自己のアイデンティティーを自覚させる大切な心の糧となっている。
 早くに他界したオハイオ州出身のアメリカ人の父は、日本語が堪能で沖縄民謡もよく歌うほど気持ちはいつも沖縄人だったという。そして、ハワイ在住の母、富士子・ストレッカー・普久原さんは、12人きょうだいの末っ子としてサイパンで生まれた。戦争で父親と兄弟8人がサイパンで亡くなり、戦後祖母は、母を含む子どもたちを連れて帰沖した。間もなく祖母を亡くし、母はつらく、過酷な生活を強いられてきた。
 ヘレンさんは「母は、過去のことをほとんど話さない。だが、沖縄人としての誇りだけは持ち続け、沖縄伝統芸能の素晴らしさを実際に示してくれた。母は琉舞を学ぶことを奨励した。そして自分の踊る姿を見て喜ぶ母を見るのが好きだった」と続ける。さらにヘレンさんは、「過去を話したがらない母との確執がある中、白人ウチナーンチュとして自分のアイデンティティーを模索中だが、沖縄伝統芸能に一生懸命取り組むことによって沖縄への誇りと思慕が生まれ、そこに母との接点を見いだすことができる」と三線と踊りに情熱を持つ意味を熱弁する。
 今年七月、ヘレンさんは、アメリカ東部支部長千恵子・ウィリアムス・仲宗根教師を通し、三線で琉球民謡伝統協会主催の新人奨励賞を受けた。「家族の理解があり、踊り、三線に打ち込める」とヘレンさん。いつか沖縄にいるまだ見ぬ唯一の伯父(沖縄市、照屋在の普久原朝儀さん)に会い、「沖縄の心が、遠い米国でも伝承されていることを伝えたい」と話した。
(鈴木多美子通信員)