【島人の目】ある人生


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 濃い緑、蒸し暑い気候、サトウキビ畑など沖縄と似たようなルイジアナ州に生まれ育ったロバート・マーティンさん(85)が志願兵として沖縄に送られたのは19歳の時だった。82日間の沖縄戦の末、戦争は終わった。戦勝したものの彼の心はなぜか沈んでいた。失った多くの戦友、戦争のはかなさが先にたってやるせない気持ちになったのだ。マーティンさんはその後人類愛に生きる決意をした。

 北米沖縄県人会ロサンゼルス地域のカジマヤークラブ(山内茂子部長)はこのほど、80歳以上の会員を招いて敬老感謝の集いを催した。300人の80歳以上の会員(うち90歳以上が45人)の中から当日は80人が参加した。日本食の弁当、スブイのアシティビチースープ、サーターアンダギーなどの沖縄食を堪能し、沼田美智子さんと佐渡山鶴子さんが「カナヨー天川」、松原のぶ子さん(那覇出身)が歌謡曲を披露するなど楽しいひと時を過ごした。新城義道民謡愛好会が「イチャリバチョーデー」を演奏すると小橋川ひろしさん(92)が突然踊りだした。マーティンさんはそういった雰囲気がたまらなく好きで2001年に県人会会員になって以来今日まで継続している。
 終戦から2年して故郷のルイジアナへ帰還、州立ルイジアナ大を卒業し、さらに南カリフォルニア大学(USC)の博士課程を修了。カリフォルニア州立大の教授として国際言語学とアジアの歴史を教えた。かたわら戦争のむなしさと反戦を主唱した。
 01年には第3回「世界のウチナーンチュ大会」に参加を決意、56年ぶりに沖縄の土を踏んだ。その後、大田昌秀元沖縄県知事の「平和の礎」に賛同の手紙を出し、以来友人として文通している。今回の参加がかなわなかったことを残念がった。
(当銘貞夫、米ロサンゼルス通信員)