【島人の目】人と人の絆


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 5年間隔で行われる「ウチナーンチュ大会」に参加するもう一つの有意義なことは懐かしい友人との触れ合いが持てることにあるだろう。
 波照間永吉芸大教授と娘の陽さんとの再会は2年ぶりである。今回町子教授夫人を交えてとびっきりおいしい沖縄料理のご馳走(ちそう)にあずかった。同教授は2009年に発行された私の著書「アメリカに生きる」の序文を書いてくださった。娘の陽さんを伴って09年の北米沖縄県人会ロサンゼルスの100周年記念式典に出席、県人会のためにボランティアで講演をした。

 あれから2年が経過した。陽さんは早大の博士課程に進み、研究論文に取り組んでいる。私がワールドウチナー・シンポジウムにパネリストとして出席する前日、那覇市の一角でスターバックスのコーヒーを飲みながら、「ウチナーンチュとしてのアイデンティティーと人材育成について」議論した。それが翌日の「民間大使会議」で大いに役立った。
 西原中学校の平良嘉男校長は1959年6月30日、旧石川市立宮森小学校に整備不良の米軍ジェット機が墜落した事故の生き残りとしての証言をフランスやアメリカ、そして多くの日本のメジャー新聞に投稿した。今年9月にはサンフランシスコ市立大学のウェスリー・上運天准教授の授業にゲスト出演。「次世代に何を伝えるか」について学生たちに講演した。帰沖の前にロサンゼルスを訪れ、沖縄県人会役員と懇談して以来の再会であった。
 高嶺朝一前琉球新報社長と会食した。高嶺さんは私のシンポジウムでのパネリストとしての提言に触れ「県費留学生の追跡調査の要請」に賛同。「人と人の絆をつなぐのがジャーナリズムの基本だと思っていますので、当銘さんのコラムはその点で徹底しています」とのメッセージに感謝した。同氏は新ビジネスの構築に向け計画中である。
 今後も人との縁(えにし)を大切にアメリカと沖縄の懸け橋になれるよう努力したい。
(当銘貞夫、米国ロサンゼルス通信員)