【ブラジル】祭り太鼓支部創設 浦崎さん追悼


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追悼公演後に浦崎直秀氏の写真を囲んだ、琉球國祭り太鼓ブラジル地区の各支部の選抜メンバーからなる出演者=4月8日、ブラジル沖縄県人会館サロン

 琉球國祭り太鼓ブラジル支部創設者、浦崎直秀氏の追悼公演が4月8日、ブラジル沖縄県人会館サロンで行われた。浦崎氏は昨年2月9日に死去。那覇市出身で10代から芝居、舞踊、太鼓、三線など沖縄の芸能を学んでいた。

 1957年にボリビアへ移住、61年にブラジルへ移った後、62年にサンパウロ市で協和劇団を組織した。その後、光史太鼓のブラジル支部を設立。91年に母県を訪問した小禄村(現那覇市)出身者の子弟たちを中心にサンパウロ市ビラ・カロン地区で創作エイサー「琉球國祭り太鼓」の指導を始めた。
 98年にブラジル支部として活動を開始し、現在サンパウロ州内に6支部、州外ではカンポ・グランデ、ブラジリア、クリチーバとロンドリナ支部を設立し、600人のメンバーを数える芸能団体に育て上げた。
 追悼公演第1部では仏式法事があり、県系社会の代表者、琉球舞踊関係者、琉球國祭り太鼓各支部のメンバーら数百人が集まり、法要を行った。第2部では浦崎氏の弟子たちや、ブラジル琉球舞踊協会による芸能公演も行われた。琉球舞踊、光史太鼓、創作エイサーの琉球國祭り太鼓の演舞が次々と披露された。
 最も感動的な瞬間は「三線の花」の演舞で、浦崎氏はこの曲を聴き、故郷の沖縄を思い出し、涙を流したことが弟子たちの心の中に刻まれた。舞台裏で泣いていた出演者も、舞台では笑顔いっぱいの演舞を披露した。
(仲地恭子通信員)