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沖縄学に打ち込む
3月29日から3日間、早稲田大学キャンパスで「沖縄日本復帰40年、これまでの沖縄学、これからの沖縄学」と題して沖縄国際シンポジウムが開かれた。
ベテランから若手研究者までそろう、大きな学問のイベント。波照間永吉県立芸術大学教授を父に持つ、当日の実行委員の早稲田大博士課程研究員・波照間陽(しの)さん(26)が携わった。勝方=稲福恵子早稲田大学琉球・沖縄研究所所長を師と仰ぐ。陽さんは3人の20代の若手研究員の一人として「国際アクターとしての沖縄」と題し、抑止論の報告をした。
波照間さんに初めて会ったのは2007年の7月。波照間永吉教授夫妻が早大3年在学中の娘・陽さんのカリフォルニア州立大学デーヴィス校(早大と提携校)の留学終了式に参加後、北米沖縄県人会を訪れた時だ。それから2年後09年10月、県人会創立百周年記念祭の時、波照間教授は「琉球文学に見る沖縄人の心性」と題し講演、陽さんはその時に司会を務めた。
10年4月にロサンゼルス小東京にある日米博物館が提供しているウェブサイト・ディスカバーニッケイに「日本人初の開拓移民・おけいと沖縄」との題で筆者の寄稿文が掲載された。この物語を読んで、波照間さんは次のような感想文を寄せた。
「どこに行っても望みのない環境で泣いていても何の解決にもならない。それなら、あれこれ考えずに黙ってその土地にとどまり、そこで歯を食いしばりながら精いっぱい生きていく。その結果が19歳という若さでのおけいの死ではないだろうか…」
「この想像は私にとって、おけいの生涯と沖縄が重なる。アメリカ世から平和憲法を持つ『理想的な』日本への復帰を求めた沖縄は復帰後も日本政府の差別的待遇に長く苦しむ。どこに帰属しても報われることのない小さな島で人々はできる限りのことを精いっぱいやり通そうとする。私もそのうちの1人になりたい。ウチナーンチュの希望を捨てたくない。沖縄を短命で終わらせたくない。私はそういう内なるエネルギーを持って研究しようとしているのです」
歴史に翻弄(ほんろう)されながらも力強く生きてきた沖縄の人々に薄幸な少女おけいの生涯を重ね、沖縄のため精神的支柱になりたいと意欲を燃やす波照間さんの思いは沖縄の人々の励ましの糧となるだろう。(当銘貞夫通信員)