【アメリカ】宮城能松さんら選出 日系団体ウーマン・オブ・ザ・イヤー


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授賞式終了後、写真撮影した沖縄県人会会員の出席者たち。中央で、花のレイをまとっているのが宮城能松さん=米国のモンテベロー市クワイエット・キャノン

 日系市民協会ロサンゼルス・ダウンタウン支部と南カリフォルニア日系婦人会が選出する2012年度の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」賞の授賞式が5月20日、米国モンテベロー市のクワイエット・キャノンで開かれた。

受賞者は日系コミュニティーで顕著な功績が認められた5人。日米で58年間、琉球舞踊に研さんを積んできた沖縄出身の宮城能松(本名・上江洲洋子)さんも選ばれた。
 授賞式が1963年に始まって以来、沖縄系の受賞者は能松さんで13人目。宮城さんは米国6州に9教室を構え、多くの門下生を指導、琉球舞踊と民謡の普及に力を注いで、数々の賞を受賞している。
 この日は門下生や北米沖縄県人会会員ら100人が応援に駆け付けた。宮城さんは「国の重要無形文化財に指定され、沖縄が世界に誇る、この素晴らしい伝統芸能を、沖縄系に限ることなく、他の日系3世、4世の若い世代にも継承していきたい」と抱負を語った。07年に同賞を受賞した眞境名愛子さんは「同じ琉球舞踊部門での受賞者として、今後の琉球芸能の発展と継承にご活躍を期待する」と賛辞を送った。
 宮城さんは03年に「芸一心―半世紀の歩み」と題して、宮城能松芸歴50周年記念および免許披露公演をエルカミノ大学で行い、沖縄から家元・故宮城能造はじめ3師匠と13人の賛助出演があった。門下生らを含め総勢100人の出演者、総観客数は2千人以上に上り、盛大だった。
 宮城さんは那覇市で出生。12歳のころ、宮城流に入門した。1969年に渡米、82年に宮城能松琉舞民謡研究所を設立。以来、今日まで琉球芸能を通して地域社会に貢献してきた。
(当銘貞夫通信員)