空き缶で急造爆弾 沖縄戦実相表す 1フィート事務所保管


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 沖縄戦時に作られたとみられる、空き缶とくぎを使った「くぎ入り急造缶詰爆弾」がこのほど、NPO法人「沖縄戦記録1フィート運動の会」の事務所の未整理史料から出てきた。

圧倒的な米軍の軍事力を前に、本土などからの物資補給が断たれ、追い詰められた日本軍がありとあらゆる物を使って武器を作ったことがうかがい知れる。これまで竹筒で作った爆弾は知られているが、遺骨収集や沖縄戦研究に関わる専門家は「缶で作られた急造爆弾を見るのは初めて」と話しており、沖縄戦の実相を表す貴重な史料の一つとして注目している。
 缶詰爆弾のふたは木でできており、缶の中には殺傷能力を高めるため火薬とともに何本ものくぎが詰められている。高さ約15センチ、幅約10センチ。
 1フィートの会は1992年から「戦争を知らない世代に沖縄戦を伝える活動の一環」として、那覇市内の100カ所以上の壕やガマの調査を実施。その際に収集した多くの遺物が整理されないまま、同会事務所に保管されていた。同会は現在、来年3月の活動終了に向け、収集した史料の整理を進めており、その作業中に缶詰爆弾が見つかった。
 同会の大城信也理事は「缶詰爆弾の収集場所は那覇市内とみられるが、詳細は不明。今後、史料の進呈先を検討し、保存を進めていく」と話している。
 これまで数々の戦争遺物と接してきた遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表は、缶詰爆弾は「初めて見た」と驚き「一木一草まで戦力化すべしという日本軍の教えを体現する物で、沖縄戦でいかに日本軍が武器のない状態で戦闘していたかがうかがい知れる貴重な史料だ」と話した。
 沖縄戦に詳しい石原昌家沖縄国際大学名誉教授は「竹筒で爆弾を作ったという話は実際に聞いたことがあるが、缶詰爆弾は聞いたことがなく珍しい。大本営から第32軍への物資補給が断たれた状況下で、ありとあらゆる物を使い武器を作ったことが分かる」と語った。
 今回の収集物・史料整理で「字兼城 高二年 男 翁長朝清」と刻まれた筆箱も見つかった。同会は持ち主についての情報提供を呼び掛けている。問い合わせは同会事務所(電話)098(862)2277。
(赤嶺玲子)

缶詰の缶を利用して作られた「くぎ入り急造缶詰爆弾」。缶の中にはくぎが詰まっている=22日、那覇市泉崎の「沖縄戦記録1フィート運動の会」事務所
「字兼城 高二年 男 翁長朝清」と刻まれた筆箱=22日、那覇市泉崎の「沖縄戦記録1フィート運動の会」事務所