【キラリ大地で】アメリカ 與座敬さん(全米最大すしフランチャイズ会社勤務)


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與座敬さん(右端)の家族

新規店で指導、販売助言も
 すしはアメリカで市民権を得て、スーパーではいつでも手軽に手ごろな値段で好みのすし弁当を買え、人気は依然高い。米国のスーパーにすしコーナーが置かれるようになったのは1986年のころからで、パイオニアである日本人経営の会社アドバンス・フレッシュ・コンセプト社(AFC)は全米1700軒のチェーン店を持ち、フランチャイズシステムでビジネスを展開している。その会社に勤務し、昨年から東海岸の地域マネジャーとして手腕を発揮しているのは南風原町津嘉山出身の與座敬さん(46)だ。

 與座さんは、ユタ州の大学に留学し農学部を卒業後、沖縄に帰り、軍で小売業のマネジャー職に就いた。7年間働き、その間に鳥取県出身の久美子さんと結婚。里理さん(11)と礼愛さん(10)の2人の娘に恵まれた。
 海外雄飛を夢見ていた與座さんは外国で再度の人生の転機を図るためハワイに渡った。ハワイでしばらくは思うようにいかず、悶々(もんもん)とした日々を送った。間もなく大手スーパーに就職し4年半働き、その後、カリフォルニア州で今のAFC社に入社した。
 新米としてまず、すし作りのトレーニングを受けた。「握ったことも巻いたこともなかったすしを作るのに苦労した。うまくいかず挫折を味わった。この仕事は合わないのではと辞めることも考えたが、家族のことを思い、家に帰ってからも練習に専念した。あの当時は寝ても覚めてもすし作りだった」と語る。
 努力を積み重ねた3年間の実績が認められ、東海岸地域マネジャーとして昨年バージニア州に栄転し、同州を中心に三つの州にある100軒のチェーン店を任されている。新しく立ち上げた新規店ではすし作りを直接指導し、それぞれの店の業務上の問題解決から人事、販売上のアドバイスなどをするためにチェーン店を駆け回っている。
 一番つらかったことはハワイで職がなく、食べ物がいよいよ底をついた時。アニマルクッキーを水でふやかして食べている娘たちから「パパこれおいしいよ」と言われたことが苦しかったと思い出す。
 また将来すし教室を持ちたいと抱負を話し「一生懸命取り組んだ後はナンクルナイサ精神で乗り越える。そんなウチナーンチュ精神を持った自分を家族が理解し、ついてきてくれていることに感謝している」と語った。
 最後に「米国に渡りイチャリバチョーデーの真の意味を実感している。苦しかった時に助けてくれた人たち、そして喜びを分かち合える多くの人との出会いが自分の人生を豊かにさせ宝になっている。感謝の気持ちを持ち、信じる道に向かって努力するのみだ」と熱く語った。(鈴木多美子通信員)