『琉球海溝』 島の風景に映す内面世界


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『琉球海溝』鈴木次郎著 mugen・1905円

 日本復帰40年、「あとがき」で「主に沖縄をテーマにしたものを選び」とあるように、私的時代体験を再構築したともいえる44篇が2部、6章の構成で編まれる。自作について「意外にも社会性が濃厚なのに驚かされ」たとあるが、沖縄という場がもたらす「つねに危機迫る 平穏な時代」が詩的情動を促すのは必然ともいえる。

「我ヌ生マリヤ金武ヤンバル」は「アチサン」「アア アチサン」「アア アンチ アチサン」と喘(あえ)がずにはいられない(夏の島)である。この島の年々変貌する風景を見つめ、「人々は沖縄の道なき道の上を歩いている/祈るように歩いている」と書かれる(伊集の花)は「見た目は清らかだが その実、強い毒をもった」花なのだ。詩篇(しへん)の多くは幼少時や現在の風景に内面世界を切り結び、その変容をアイロニカルに、時にコミカルに反問する。詩行は連想のうねりに乗り、右往左往しながら自在に展開する。
 この詩集のタイトル『琉球海溝』は読者にとって十分に魅力的である。この海溝の上に住む者なら、この4文字に秘められた深い暗示を察知するはずだ。「ここは 日本のあらゆる高さより深い」「亀裂の真上を 白い船が//希望のように 南から北へ向かう」のだが、「恋に破れた女が 赤いハイビスカスを一輪 海へ落とす//ハイビスカスはのみこまれ/黒い波の表情が/海溝の深さをより深くする」(琉球海溝)。恋に破れた女は作者の分身であり「北へ向かう」ものすべてであろうか。
 第2部・第3章にはややトーンの異なるシュールな作品が並ぶが、全編に通底するのは現実の光景からくる違和感、孤立感である。「片腕が泳ぐ/たすけをもとめて泳ぐ/クロールのかっこうで泳ぐ//でも片腕は/絶対に 溺れているのではなかった」(片腕)。実に奇抜で斬新なイメージである。他に「木耳」「透明人間…」「五月の空」「魅力ある落下」等に感覚のさえをみる。詩のリアリティーとはテーマにあるのではなく言葉の深さにこそ現れるのだ。文明批評的なモチーフを巧みなレトリックで掘り下げた密度の高い詩集である。
(佐々木薫・詩人)
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 すずき・じろう 1962年金武生まれ。幼少期を徳之島で過ごす。99年第25回新沖縄文学賞佳作。同年第3回沖縄市戯曲大賞佳作。2010年に第1詩集「詩集 井之川岳遠望」。