屋嘉比朝寄の厨子甕確認 古典音楽の大家


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屋嘉比朝寄の没年や唐名、親、洗骨年などの情報が書かれている厨子銘=6日、浦添市役所

 【浦添】浦添市教育委員会は6日、2004年度に同市前田で見つかった、沖縄固有の骨つぼ「厨子甕(ずしがめ)」を調査した結果、琉球古典音楽の大家、屋嘉比朝寄(ちょうき)の甕だったと発表した。

同時に妻・真伊奴(まいぬ)や子どもの厨子甕も発見され、これまで判明していなかった屋嘉比の家族構成が明らかになった。屋嘉比は、古典音楽の流派「野村流」と「安冨祖流」創設の流れをつくった人物。識者は「琉球古典音楽の歴史を研究する上でも意義深い発見」としている。
 甕は、文化財「前田・経塚近世墓群」内の屋嘉比家の墓に納められていた。区画整理に伴い、墓の移転が済んだ後、市教委が甕を本年度から本格的に調査。甕の表面とふたに書かれた厨子銘の判読作業や考古学的検証などを行った結果、屋嘉比や妻、娘の甕と断定した。高さ58センチ、胴回り39センチの屋嘉比の甕に記載された厨子銘からは、屋嘉比の没年や親、さらに晩年は「朝儀」と名乗っていた新事実が明らかになった。
 屋嘉比は、現存する中で最も古い三線楽譜「屋嘉比工工四(くんくんしー)」を編さんした業績で知られる。だが、その他の資料が限られており、家族構成などは明らかになっていなかった。
 沖縄の伝統芸能史を研究する大城学琉球大教授は「家譜がなく、これまでよく分からなかった屋嘉比の人物像の研究が進むことが期待される。琉球古典音楽の歴史を解明する意味でも意義深い」と話した。今回確認された屋嘉比の甕は、4月以降に市内で一般公開される予定。

<用語>屋嘉比朝寄
 1716年、玉川按司朝雄の四男として首里に生まれる。現存する最も古い三線楽譜「屋嘉比工工四(くんくんしー)」を編さん。今日の琉球古典音楽継承の礎を築いた人物とされる。現代にも残る古典芸能の流派「野村流」と「安冨祖流」も屋嘉比の流れをくむ。琉球王国での位階は親雲上(ぺーちん)。1775年没。