社会

続く重圧 怒り消えず 海兵隊、岩国から移駐37年

37年前、県議会で米軍関係特別委員会の初代委員長を務めたころを振り返る仲松庸全さん=7日、糸満市内

 1976年2月12日、米海兵隊が山口県・米海兵隊岩国基地から「第1海兵航空団」の千人規模の兵力と輸送機9機を県内に移転すると発表したことに、当時の県議会や県内政党は一斉に反発した。同航空団は現在、県民から県外移設の声が高まる米軍普天間飛行場に駐留。オスプレイなどを運用している部隊は、37年前に岩国基地から沖縄に移ってきたものが元だ。

当時、県議会米軍基地関係特別委員会の初代委員長だった仲松庸全さん(85)=糸満市=は「なぜ沖縄だけに基地が集中するのか、怒りが爆発したことを覚えている」と振り返る。
 昨年10月、オスプレイ12機の沖縄配備の際に飛来してきたのも岩国基地からだった。脊柱管狭窄(きょうさく)症を患い歩行が困難だが、オスプレイの配備に反対する昨年の9・9県民大会には車いすで駆け付けた。沖縄の基地負担への本土の無関心に「『また小さな島が騒いでいる』というような本土からの侮辱、差別を感じている」。
 基地問題を考え続けている原点は沖縄戦の体験。当時17歳、民間通信所に見習いの時で、戦況悪化のため友人と本島南部に逃げた。途中、爆撃された人たちの死体を目撃。摩文仁の海岸の自然壕では泣いていた少女を黙らせるため、日本兵が銃殺する場面にも遭遇した。
 「信じていたものに裏切られ、こんなことで人を殺していいのかと思っても、恐怖で声も出なかった」。戦後は土地取り上げ闘争にも携わった。50年代、岐阜県や山梨県から第3海兵師団が沖縄に移転してきたことも苦い思いで見つめた。68年の立法議員選挙で人民党から当選、県議も1期務めた。戦争放棄を誓う平和憲法下の日本に復帰後も基地負担は減らなかった。
 「本土との“温度差”は残念だが、基地や訓練の県外分散は求めない」という考えの根底にあるのは沖縄戦の記憶と、非戦への強い願いだ。「人間が虫けらのように殺されていくあの地獄を再現してはならない」
 県民が一丸となって反対する中でオスプレイ配備が予定通り行われ、その後誕生した自民党政権は、改憲や国防軍創設を進める。「今を生きている私たちには、考えて判断していく努力をする責任がある」。自らの体験を血肉に、仲松さんは問い続ける。(石井恭子)