『言論の自由』 健全な民主社会のために


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『言論の自由』山田健太著 ミネルヴァ書房・2940円

 「3・11」直後、政府、電力会社の意向を垂れ流す大本営発表ぶりにとうとう切れてしまい、30年も購読を続けてきた全国紙を読まないことに決めた。社会的責任を放棄しているとしか思えず、メディアとして存在すること自体、疑問さえ思った。

 先月末発表された「報道の自由」度の世界ランキングによると、「日本は東京電力福島第1原発事故に関する情報の透明性が欠けるなどとして昨年の22位から大幅に順位を下げ、53位とされた」という(共同通信2013年2月1日付)。53位という順位は、おおよそ欧米先進国、民主主義の諸国のランクの外である。
 本書は、表現の自由、報道の自由を含む言論の自由が、戦後の憲法においてどのように規定され、またどのように法的に保障されてきたのか、また社会的な制度や実態として認められてきたか、明らかにしている。
 戦後憲法が、言論の自由に対する権力的な介入を絶対的に禁止している意義は絶大である。われわれには空気のように当たり前に表現の自由、言論の自由があってその意義を認識することはほとんどない。目からうろこがとれるように「言論の自由」の像が浮かび上がってくる。その空気が今大きく変わろうとしているという。
 例えば、著作物の価格を保障する再販制度は、市場原理や競争の徹底を追究する議論によって全面撤廃の攻撃にさらされている。憲法は新聞や出版の民主主義社会における特別な役割を認め、法的に優遇措置を認めてきたこと、したがって、優遇措置の是非については、この憲法上の要請、つまり民主社会の健全な発達のための新聞や出版の役割を根底に考えていかなければならないことになる。
 廃止を要求される記者クラブ、取材・報道の規制が当然かのような裁判員制度、ほんとうにそうなのか、まさしく目からうろこがとれ、次々と言論の自由が見えてくる。
 本書が提示しているのは、民主的な社会を維持するための根本的な規範の洗い出しである。報道や出版を職とする人々は当然ながら、民主社会の構成員であるすべての人々が考えていかなければならない問題であり、その所在と処方箋を明示している。(島袋純・琉球大学教育学部教授)
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 やまだ・けんた 1959年生まれ。日本新聞博物館学芸員を経て、専修大学文学部人文・ジャーナリズム学科教授・学科長。専門は言論法、ジャーナリズム論。著書に「ジャーナリズムの行方」「よくわかるメディア法」など。