【キラリ大地で】アメリカ 譜久嶺絹子さん(石垣市出身)


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譜久嶺絹子さん(左)

信頼厚い地域のリーダー格
 米バージニア州のバージニアビーチ市では「いいもの作ろう」の輪が広がり、手作りみそ、石けん、キャンドル、コケ玉などの手作りを楽しんでいる。その中心的存在で、企画から指導まで担当するのは石垣市出身の譜久嶺絹子さん(56)だ。「興味のあることにチャレンジするのは楽しくて充実し、満足感を得る。学び教えることは自分自身を豊かにし、若さを保つ自分磨き方だ。いい物を自分流に変えていくのが私のモットー」と話す。

 絹子さんは1979年に県立那覇看護学校を卒業後、県立中部病院に就職、一般内科と集中治療室に勤務した。85年にグレン・マレーイ医師が講師として招かれ、絹子さんは運命の出会いをする。帰国後も文通を続け、87年、グレンさん二度目の来沖の際に結婚を決意した。90年に渡米し結婚。ピッツバーグ大学の看護学科に編入学し、卒業後はペンシルベニア州看護国家試験に合格、ナーシングホームの看護師として働いた。絹子さんは「看護師の仕事は好きで苦にならなかったが言葉の壁はストレスになった。だが月間最優秀職員に選ばれた時はうれしかった」と話す。
 日本協会の理事を務めながら夫の勤務する病院で患者通訳ボランティア、救急隊、医療関係者の通訳ボランティアとして活躍した。
 2002年にグレンさんの転勤でバージニアビーチ市に引っ越した。新しい地での絹子さんの積極的な活動は沖縄三線グループの結成から始まった。インターネットやCDを参考に独学で始め、やがて沖縄県系人だけでなく、本土出身の人たちもメンバーになり、指導するようになった。
 地元の桜祭りではことしで5度目の出場となるバージニアビーチ三線会に加え、昨年からエイサー隊も結成され、絹子さんの指導の下、日頃の練習の成果を見せ、イベントを大いに盛り上げ沖縄文化のアピールにも一役買っている。
 また20年前に通信教育でグレンさんと始めた書道を、地元の大学の日本語を履修している学生にボランティアで教えている。多芸多才を生かし、ハワイアンキルトと陶芸にも熱中している。禅指圧の講習も修了し、友人のために指圧をすることもあるという。
 絹子さんのパワフルで奉仕の精神あふれる精力的なエネルギーは一体どこから湧いてくるのか。絹子さんは「東洋医学に興味がある。東洋医学は予防医学。健康でいるためには日々の食事、運動、睡眠、休息を心掛けることが大事だ」と看護師の立場から健康管理について力説する。
 実際にジムで体を鍛え、食に関してはパンやみそなどを手作りし、日本食中心の健康食を実践している。「結婚して良かったことは夫が日本の食文化や日本文化に興味があり、好意的であることだ。やりたいことなどをサポートしてくれる夫には大いに感謝している」と話す。夫婦そろって旅好きの2人は毎年、海外旅行をし、ことしはニュージーランドに行った。常に前向きな絹子さんは仲間に頼られ、今やバージニアビーチ市のリーダー的存在だ。