「島守」語り継ぎたい 島田元知事の遺骨捜索


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
島田叡氏の遺骨や遺留品を捜し求め、険しい山道を登る参加者ら=22日、糸満市摩文仁

 【糸満】沖縄戦当時の県知事を務めた島田叡(あきら)氏の遺骨を見つけ出そうと、県内外の有志約20人が22日、島田氏が消息を絶ったとされる糸満市摩文仁の県平和祈念公園裏手の密林の中で、遺骨や遺留品を捜した。

有志らは、旧日本軍兵士が島田氏を最後に見たと証言している地点まで、草木が生い茂る足場の悪い山道を登った。一行は壕の中などを捜索したが、この日は遺骨や遺留品などは見つからなかった。23日も捜索する。
 島田氏は、米軍の上陸が迫る1945年1月に県知事に就任。沖縄戦の激しい戦闘の中、自らの命を顧みず多くの県民を救ったことから「島守」と呼ばれる。
 この日の捜索には、兵庫県出身の島田氏が卒業した兵庫高校のOBらでつくる「武陽会」から4人が参加。メンバーは「戦火を逃れ、この山に隠れた人のことを思うと言葉に言い表せない」「遺骨を早く見つけてあげたい」などと沈痛な表情で話した。
 同会の玉田圭司事務局長(43)=神戸市=は「島田氏は、国難の時に人として最も正しいことをした人物。(偉業を)後輩に伝えていきたい」と話した。今回の捜索の詳細は、6月に同校で催される武陽会設立100周年の記念式典で報告する。
 今回の捜索活動を主導した那覇市の財団法人「島守の会」の島袋愛子事務局長(65)=同市=は「島田氏の遺骨や遺留品を捜す兵庫県の人たちの熱い気持ちが伝わった。明日、良い成果が出てほしい」と願いを込めた。