冥福祈り慰霊祭 3・28 渡嘉敷「集団自決の日」


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戦後68年目の渡嘉敷村の慰霊祭=28日、渡嘉敷村「白玉之塔」

 【渡嘉敷】渡嘉敷村の慰霊の日(住民玉砕の日)に当たる28日、村主催による戦後68年目の渡嘉敷村戦没者慰霊祭が、「集団自決」(強制集団死)で亡くなった村民犠牲者らが眠る慰霊碑「白玉之塔」で開かれ、村内外から遺族、一般村民、郷友会ら約150人が参列。戦没者594柱のみ霊の冥福と世界の恒久平和を願った。

 昨年、村主催の慰霊祭を35年ぶりに開いた座間味昌茂村長が式典で「戦没者のご冥福を祈り、追悼の誠をささげる」と式辞を述べ、遺族を代表して新崎直恒さん(75)が追悼の言葉を述べた。
 沖縄戦では米軍が1945年3月27日に阿波連、渡嘉志久の両ビーチから上陸。28日、それぞれの壕で避難していた村住民が日本軍の命令により島の北山(にしやま)の日本軍本部陣地近くに集められ、軍から配られた手りゅう弾で集団で自決した。手りゅう弾で一度に死にきれなかった住民は小銃、かま、くわ、かみそりなどで自ら命を絶ち、329人が犠牲となった。
 当時4歳の赤嶺登代さん(72)は「母と姉、弟4人のうち、母が死亡、3人は負傷、集団自決現場で動けないでいたところ米軍に保護され助かった。2歳の弟は死んだ母親のおっぱいにしがみついていたのを記憶している」と、当時の様子を悲痛な思いで語った。
(米田英明通信員)