「集団自決」真実後世に チビチリガマで慰霊祭


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ガマの中の祭壇に線香を手向けて手を合わせる遺族ら=3月31日、読谷村波平のチビチリガマ

【読谷】沖縄戦で米軍が上陸した直後の1945年4月2日に住民83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平の自然洞窟・チビチリガマで3月31日、慰霊祭が開かれた。

遺族ら20人が集まり、亡くなった家族のみ霊の冥福を祈り、平和への思いを新たにした。遺族らはガマの中の祭壇に果物や餅などを供え、線香を手向けた。手を合わせて目を閉じながら、涙を流す遺族もいた。
▽遺族会の与那覇徳雄さん(58)は、チビチリの事件が明るみに出てことしで30年になると言い「子や孫も大きくなる。私たちにできることは彼らに歴史の真実を伝え、戦争をさせないことだ」と呼び掛けた。
▽祖母とそのきょうだいら5人を亡くした与那覇徳市さん(70)は戦後の幼いころに、母フミさんに連れられてガマに手を合わせたことがある。「母はガマを見ないようにいつも遠回りをしていた。あの時は分からなかったが、当時の母の気持ちが今になって分かる」と話した。

英文へ→Memorial service held in Chibichiri-gama where group suicide occurred during the Battle of Okinawa