戦前の製塩所跡発見 「重要な産業遺産」 名護市・屋我地島


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戦前の塩田施設(タンク跡)を調査する(左から)江上幹幸沖国大教授、名護市教育委員会学芸員の宮城弘樹さん=3月22日、名護市我部

 【名護】沖縄の製塩発祥の地、名護市我部(屋我地島)で昭和初期に造られたとみられる製塩小屋(マースヤー)跡が江上幹幸沖国大教授らの調査で6日までに見つかった。塩分濃度を高めた「かん水」をためるタンクと、それを炊くための大型かまど跡で、戦前の製塩小屋跡は県内に残っていないとされていた。

江上教授と名護市は6~7月にかけて発掘調査をする予定で、名護市教育委員会は将来、史跡として文化財指定も検討する。
 江上教授は「戦争で写真資料が失われ、現物が残っていることは重要。製塩技法を伝える産業遺産として価値がある」と話している。
 江上教授らは10年前からインドネシアの文化を調査し、その中で製塩法も詳しく調べている。自然環境が似ており、国内で唯一、産業として「入浜式製塩」を続ける名護市我部も関連付けて調査した。2012年10月、木に埋もれたタンクやかまど・煙突跡を見つけた。
 土地を所有する嶺井千鶴子さん(83)=那覇市=の承諾を得て周囲を伐採し、全体像を把握した。3月22日には嶺井さんの聞き取りも兼ねて予備調査をした。嶺井さんによると、製塩小屋は嫁ぎ先の義父らが使ったもので、昭和8年(1933年)に造られたという。
 江上教授は「壊されてしまえば、当時の製塩の状況が全く分からなくなる。そのままの状態で残せれば復元も可能になる」と遺構としての価値だけでなく、伝統技術継承の面からも重要性を指摘している。
 タンクはコンクリート製で約3メートル×2・4メートル、深さは1メートル弱。半分地中に埋めてある。かまど跡は隣の平地にある。嶺井さんの記憶では全体を覆うように屋根があったという。(金城潤)

<用語>入浜式製塩
 潮の干満を利用して、塩田に海水を導き砂に塩を付着させる。砂に海水をかけてろ過すると、塩分濃度の高いかん水ができ、それを炊くことで海水をそのまま炊くより効率良く塩を作れる。