米軍普天間飛行場の5~7年以内の返還を掲げた日米合意から17年の節目を迎えた。この間、政府は県内移設反対の県民世論を一顧だにせず、普天間周辺住民の基地被害に目を伏せたまま、県内移設をごり押しする姿勢を崩していない。住民の声に耳を傾けないまま政治的な解決を図ろうとする政府の姿勢には、原点だった「普天間飛行場の早期の危険性除去」の視点が欠如している。
普天間飛行場返還をめぐる出発点は1988年4月20日、県が普天間飛行場の全面返還を含む米軍施設・区域の返還を米国に要請したことだった。あれから25年がたち、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故など重大事故が発生したが、日本政府は事故・事件があるたびに「米側に申し入れる」と述べるにとどめ、自由に沖縄の空を飛び回る米軍機の規制すらできていない。
昨年10月の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間配備後は県内全域に訓練が広がり、基地被害に拍車も掛かりつつある。米軍の活動を最優先し、基地被害の改善に向き合ってこなかった政府の姿勢が、県民に過重な基地負担を「本土との差別だ」と意識させ、保革一致で県内移設反対の方向性が定まってきた。
嘉手納より南の返還・統合計画で普天間飛行場の返還は「2022年またはその後」と明記され、少なくとも9年間は固定化されることが明らかとなった。
同計画について仲井真弘多知事は普天間飛行場の代替施設は「県外の方が早い」として、固定化回避のためにも、遊休化している県外の別の飛行場への移設を求めている。一方の政府は辺野古移設を推進するが、沖縄への新たな基地建設が軍事的になぜ必要なのか、県民が納得のいく説明はしていない。
政府は3月22日に辺野古移設に向けた埋め立て承認申請書を県に提出した。普天間をめぐる国と沖縄の攻防は正念場を迎えたと言える。知事の埋め立て承認の判断に注目が集まる中、政府の強硬姿勢の打開に向け、県民の声を届ける作業が今後も重要となる。(池田哲平)